反エスタブリッシュ旋風渦巻く米大統領選の憂鬱 --- 畑 恵


米国大統領選挙の候補者指名争い第2戦、序盤のヤマ場となる予備選が、2月9日ニューハンプシャー州で行われました。

結果は、共和党が不動産王にして「暴言王」のドナルド・トランプ氏、民主党は「民主社会主義者」を自称し“政治革命”を呼びかけるバーニー・サンダース上院議員が、ともに2位の候補に約20ポイントもの大差をつけ圧勝。共和党の主流派候補や、民主党の本命とされるヒラリー・クリントン前国務長官を大きく引き離しました。

前回のブログで「混迷の時代こそ“中庸”なる政治を」とタイトルを打ち、「反動的で復古的な保守にも、現実を見失った理想主義にも、人類の明日はない」と明言した者としては眩暈がしそうな結果でありますが、ポピュリズムと反エスタブリッシュメントが吹き起こす旋風が日毎に遠心力を増し、政治を“中庸から極端へ”と向かわせていることは厳然たる事実のようです。

もちろん、35年に及ぶ政治経験を持ち、市長から下院議員そして上院初の“社会主義者”議員となったサンダース氏を、トランプ氏と同列に扱っている訳ではありません。

なにしろトランプ氏は、メキシコからの数百万人の移民を「麻薬の売人やレイプ犯」と呼び、イスラム教徒の移民を即時・無期限に禁止せよと発言して憚らない人種差別主義者であり、「軍隊内での性的暴行は予想通り」と言い放つ女性蔑視発言の常習者です。

ただそんな両者に今、世論から吹く風には明らかに同質のものがあります。

第1の風は、「反エスタブリッシュメント」という風です。

言うまでもありませんが、エスタブリッシュメントとは、社会的に確立した制度や体制、またはそれを代表する支配階級や組織を意味します。つまり、既成政党の主流派はエスタブリッシュメントであり、国務長官を務めたヒラリー候補はまさにその真骨頂と言えます。

経済格差の拡大やテロの恐怖など、米国民が抱えている不満や不安は増大する一方です。にもかかわらず、それを解決する権力と責任を担っているはずの主流派議員たちは、明確な対応を一向に示してくれない。ならばいっそのこと、政治経験のない民間人やしがらみのない非主流派議員、つまり「アウトサイダー」に票を託し一気に世の中を変革してもらおう。

というのが、現在米国に吹き荒れる「反エスタブリッシュメントの風」の正体でしょう。殊に「経済格差」を背景に噴出するこの風は今後も猛威を奮い、クリントン候補を悩まし続けると私は思います。

フランスの経済学者トマ・ピケティがその著書『21世紀の資本』で明らかにした通り、「上位1%の富裕層に米国全体の3割の富が集中している」という事実は、やはり米国を不安定化させる元凶の一つとなっています。

格差社会に対する不満と憤りという米国の土壌なくして、同著が発売から半年で50万部を売り上げ、全米ベストセラーリスト1位となることはなかったでしょう。何しろこの本、日本語版で728ページととんでもなく分厚く、価格も税別で5500円とかなり高額。ブームに乗ってつい購入してしまうという訳にはいかない一冊です。(ちなみに、日本でも13万部以上売れているそうです。)

話が逸れましたが、若年層から高い支持を得ているとされるサンダース候補は、ニューハンプシャーでは中高年にまで支持層を拡大しました。女性の支持もクリントン候補を上回り、特に若い女性の「ヒラリー離れ」が顕著です。

格差問題に批判的な有権者が多い35歳以下のいわゆる「ミレニアル世代」は、85%近くがサンダース候補に投票し、クリントン候補が過半数を得たのは65歳以上の高齢者と年収2000万ドル(約2400万円)以上の富裕層のみ。

政治権力の中枢で実績のあるクリントン候補より、財界などの利権から遠く「正直で信用できそう」なサンダース候補を、ニューハンプシャーの有権者は支持するという結果になりました。

第2の風は、「ポピュリズム(大衆迎合主義)」という風です。

下劣ながら実はそれが庶民の本音とも言える、移民排斥やアジアへの攻撃的発言を繰り返し、とにかく明るくエネルギッシュに「偉大な米国の復活」を唱えてくれるトランプ氏。

公立大学無償化や国民皆保険など北欧型の福祉国家を掲げ、公共事業への1兆ドルの拠出、最低賃金の1時間15ドルへの引き上げ(現在7.25ドル)など、夢のような「政治革命」を高らかに謳ってくれるサンダース候補。

いずれも現在のところ、有権者の熱狂的な支持を獲得しています。

もちろん大衆に迎合していても、大衆の判断自体が正しければ何も問題はないわけですが、相手国を礼節も戦略も無く刺激し続ければ戦争になりますし、収支のバランスや見通しもないままバラマキを続ければ財政破綻に陥ります。

実際、ポピュリズムは過去に、フランス革命後の惨劇や第一次大戦後のナチスの台頭など、数多くの悲劇を引き起こしました。

社会が混迷し閉塞感や不安感が高まる中、快刀乱麻を断つ如く難問を解決すると語る候補者が登場すれば、耳目を集めるのは必定でしょう。

しかし、短期利益を優先すれば必ず中長期的にそのツケは回ってきますし、急激な変化はその振り幅が大きければ大きいほど、より高いリスクを伴います。

論理的根拠や具体的なデータに裏打ちされない夢か魔法の如き解決策の裏には、必ず大きな落とし穴がある。そのことを有権者が認識していなければ、歴史はまたもや悲劇を繰り返すことになるでしょう。

民主主義を正しく機能させるためには、有権者の正しい判断を可能にする環境整備が必須です。

一つは、有権者が適時適切に正確で多様な情報を低コストで得られるよう、メディアやシンクタンクなどが政府や政治家(あるいは候補者)と有権者の間の媒介者となって、政治情報を十分に流通させること。

もう一つは、有権者が必要十分な情報を自ら収集・分析し、正しい判断がを行える能力を身に付けられるよう、幼い頃から教育すること。つまり、「主権者教育」です。

今回の米国大統領選を他山の石として、日本が学ぶべきことは実に多いのではないでしょうか。

畑恵
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