政府が電波停止を命じるのは、「放送法の法規範性があるものを、行政が何度要請をしても放送業者が全く順守しない場合」、「放送が公益を害し、将来に向けて阻止することが必要であり、同一の事業者が同様の事態を繰り返す」といった極端な場合だという。僕はこの高市発言に非常に強い危機感を持った。
たしかに電波法76条では、放送法などに違反した場合、一定期間電波を止める、とある。さらに、従わなければ免許取り消しもあり得ると規定されている。そうであっても、倫理的な規定は、あくまでも各放送局が自主的に規制すべし、というのが一貫した解釈だ。そして、それ以上に、なにより尊重されるべきは「表現の自由」だと僕は思うのだ。
こうした発言は、メディアへの露骨な威嚇といわざるを得ないだろう。ことさら僕が危ういと思うのは、「公平中立」を理由に、政府、与党がテレビの報道番組に口を出す例が、実際、続けざまに起きているからだ。
2014年11月、自民党幹部が在京6局の報道局長あてに、「選挙報道に公平中立、公正の確保」を求める文書を送っている。2015年4月には、自民党の情報通信戦略調査会が、NHKとテレビ朝日の幹部を呼び、番組内容について事情を聴くという事態も起きている。また、自民党議員の勉強会である議員が、「マスコミをこらしめる」と言って問題になってもいる。
ではどうして高市大臣は、わざわざこのような発言をしなければならなかったのか。それは、安保関連法案を成立させたことに多くの国民が否定的だった理由は、メディアの「公平中立でない」報道である、と安倍内閣が考え、八つ当たりしているのだ、と僕は見ている。だが、この八つ当たりはまったくもってお門違いだ。国民は報道に左右されたのではなく、安倍内閣の強引な手法に拒否反応を示したのである。むしろ、こんな「発言」があっては、国民は離れていくばかりだろう。
政府、自民党の高圧的な態度は許せないが、メディア、特にテレビ局が弱気すぎるのは、非常に情けない、と僕は考えてもいる。前述した2014年11月の要請文書など、逆に各局が団結して、自民党に抗議すべきだったのだ。それなのに、どの局も抗議どころか、この文書の存在自体を報じていない。
いま、骨のあるキャスターが次々に降板する。「報道ステーション」の古館伊知郎さん、「NEW23」の岸井成格さん、「クローズアップ現代」の国谷裕子さんが3月いっぱいで替わるそうだ。テレビの仕事に携わる一員として、このことにたいへん衝撃を受ける。そして非常な危機感を持つ。
そもそも報道とは、何なのか。メディアに携わる人間は、いま一度、その意義を問い直すべきだ。そして安倍首相はじめ、政治家には、「表現の自由」について考え直すことを切に願うのである。
編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2016年2月22日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。