今年の東大の現代国語の入試問題に「反知性主義」についての内田樹氏の文章が出題され、あちこちで酷評されている。この問題文はホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』を引用しながら、それとはまったく無関係な個人的感想を書いているからだ。出題者もホーフスタッターの原著を読んでいないことは明白で、原著を読んだ受験生は問題文が間違っているので困っただろう。
本書も指摘するように、ホーフスタッターの名づけた反知性主義というのは、この問題文のいうような普遍的な思想ではなく、マッカーシズムの吹き荒れた1950年代のアメリカについての特殊な概念で、それを多くの日本人は誤解(あるいは曲解)している。
Anti-intellectualismという命名もよくなかった。ホーフスタッターが批判したのは知性そのものではなく、それが政治権力と結びつくことで、「反エリート主義」とか「反権威主義」と呼んだほうがわかりやすい。それは必ずしも蔑称ではなく、アメリカの多くのキリスト教徒が共有している思考様式だ。
王政や封建制の歴史のないアメリカでは、キリスト教が権威となったため、ハーバード大学などを出た聖職者や知識人の知的・政治的権威は大きい。それに対して彼らのような東部エリートが特権階級を形成することに対する批判を、ホーフスタッターは反知性主義と呼んだのだ。
それは特殊アメリカ的な思想だが、アメリカ人を理解するには役立つ。今回の大統領選挙でトランプやサンダースのように大きな支持組織のない人物が有力候補になるのはアメリカ特有の現象だが、彼らの支援者にみられるのも、東部エスタブリッシュメントへの反発だ。
このような反権威主義は、レーガンやオバマのような既得権と無縁な人物を大統領にし、前例にとらわれないで大きな改革を実現するダイナミズムにもなる。今回の選挙で大本命とみられたヒラリーが苦戦を強いられている原因も、民衆のワシントンへの不信感だといわれているが、これは他方でポピュリズムに堕してしまう危険もある。
その意味で本書は、アメリカの特殊性を理解する解説書としてはいいが、著者は「日本にはホーフスタッターの意味で反知性主義と呼ぶべきものはない」という。それを生み出すキリスト教の伝統がないからだ。似たものがあるとすれば、それを「安倍首相には知性がない」という罵倒に使う今回の問題文の筆者のような人物だろう。