東京への一極集中はなぜ続く?

2015年の国勢調査のうち、人口動向の速報で国勢調査として初めて人口減が確認される中、東京圏への一極集中の傾向がより明白になったようです。東京圏の人口は3613万人で5年で51万人増えたそうです。また、大阪の場合、府としては0.3%減ですが、大阪市は0.1%増という結果をみると、なるほど「人は人口集積地により集積する」ことを裏付けているようです。

何十年も前、なぜ東京に行くのか、という記事があり、多くの人はそこに「モノがある」と答えていた記憶があります。今、モノは日本中どこでも同じものが簡単にゲットできる時代ですので一極集中はモノからサービスやマインドに移ったかもしれません。

私が住むバンクーバーは世界有数の住みやすい街としてよく知られています。マーサー(Mercer)のアニュアル調査では2016年度は世界で5位、北米では唯一のトップ10入りです。アメリカでトップのサンフランシスコは28位, 東京は44位であります。これからするとお前は恵まれている、と言われるかもしれません。ですが、私は東京に行くとウキウキします。ここにいる香港出身の人、上海出身の人と話しても同じことを言います。理由はこの街には「刺激が少ない」からであります。

以前、バンクーバー市の都市計画局長(当時)と雑談をしていた際に局長が「この街に足りないのは若者のうっぽんを晴らすところ。だからスポーツ施設も必要だし、野外コンサートが出来るところも必要。若い人たちが集まり、楽しいと思う仕掛けを作らなくてはいけない」と述べていたのをよく覚えています。その局長もその後、退任し、その夢は実現せず、今のバンクーバーはコンドミニアムがひたすら建ち続ける都市化が進みます。

当地で長く住んだ日本人が突然「帰国」するケースも散見されます。えっ、あの人が、というその理由は医療設備が十分ではない、親の面倒、骨をうずめたくはない、温泉と旨いものが食べたいといった様々な理由が並びます。私の場合には東京の繁華街の雑踏や猥雑な感じが体に染みついているのでしょう。25年たってもそのしみ込んだ記憶は取れず、バンクーバーという「都会」のど真ん中に住んでいるのに夜になればシーンと静まり返るこの静寂感に抵抗があるのかもしれません。

東京は怖いところ、というのが地方の方の東京のイメージです。ところがその怖いところにいったん足を踏み入れると今度は抜け出せなくなるのはなぜなのでしょうか?私は「個人のエキストリームなテイストを満足させるマイノリティ集団への選択肢」があることではないかと思います。

一度アキバや新宿の歌舞伎町の裏、あるいは銀座や渋谷、代官山などその独特のテイストの街を知ってしまうとそれは地方には絶対に真似できない唯一無二の存在となります。地方都市にはデパートが一つか二つ。商店集積地も知れているし、そこに売っているものはごく当たり前の売れ筋のものばかり。こだわりの何かを求めるのはほとんど不可能でしょう。

それはモノやサービスだけではなく、それらに共感する人とのつながりもあるのです。アキバオタクはアキバに行くとよりオタクぶりを発揮できるのは仲間がそこにいるからではないでしょうか?(バンクーバーはその点でゲイの集積地と言えます。)

地方の時代と言えども意図的に地方に分散させることは基本的にできません。首都機能を移す構想も以前ありましたが仮に移してもそれが分散化に繋がるものではありません。意図的に首都移転したブラジルの例を見ても分かるでしょう。上手くいっていません。

街とは単に人口が沢山いるだけではなく、そこに一定の文化が生まれ、それを愛する人たちがそれを守ろうとするのです。地方から都会にでた若者が田舎に戻れないのはそういう理由です。政治家や役人がどうしても地方分散させたいならそこに「けったいなもの」を作り上げるしかないと思います。名古屋然り、大阪然り、福岡然りです。楽しくない地方には今や高齢者も見向きもしないということではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 3月1日付より