ALSの闇と私の心の闇 ~コミュニケーションを絶たれた時 --- 恩田 聖敬


コミュニケーションは大切です。
日常生活でも、仕事でも言われることで、否定する人はいないでしょう。
私のようなALS患者のコミュニケーションの実態はどうなのかお話します。

私の声は、まさに今失われようとしています。舌の筋肉の低下により、もはや自分の耳にも何を言っているのかわかりません。今の私と会話する場合、介助者は私が発した言葉に対して聞こえた通りに「オウム返し」します。合っていれば頷き、間違っていたら首を振り、合うまで繰り返します。私の肺活量は、肺の筋力の衰えにより、一般成人男性の4割程度しかなく、声は小さくなり、長時間話すと疲れてしまいます。年明けから、一回で正しく聞き取ってもらえる確率がどんどん落ちてます。正直、かなり精神的に辛いです。介助者も、聞きたくても聞こえない状況は私以上に辛いはずです。でもイライラを止められず、その度に自己嫌悪の無限ループに陥ってます。

もちろん、声が失われることはALSの進行過程において予見できることです。それに対応するために、予め声を録音し、打ちこんだ文字が自分の声で再生されるシステムを用意したり、このブログのように文字で意思を伝えたり、代替えのコミュニケーション手段を準備して来たつもりです。

しかし、文字は私の思い通り笑ってくれません。怒ってもくれません。また、コミュニケーションには即時性が必要な場合がしばしばありますが、私が文字を打っているうちに、会話は過ぎ去ってしまいます。

コミュニケーションにおいて大切なのは、質より量だと私は思います。そしてパレートの法則にあるように、コミュニケーションの8割は取るに足りない内容だと思います。しかし、取るに足らないコミュニケーションの繰り返しこそが、相互理解を深める鍵となります。

今の私は、必要不可欠なコミュニケーションが8割です。会話の流れの中で、聞き返されたら敢えてもう一回言うまでもない話で、流れを壊してしまうのが怖くて、無口になっている自分がいます。

野外や喧騒の中では、私の声は小さ過ぎて聞こえません。車の中では、赤信号待ちくらいしか会話のチャンスはありません。エンジン音やエアコンの音に勝てないのです。

ALSと宣告されて以来、今が一番しんどいかもしれません。手足が動かなくても声が残れば、声が失われてもかつてのタイピングスピードのまま手が残れば、コミュニケーション出来るのに。そう思わずにはいられません。ALSは本当に残酷です。あらゆるものを奪い去るのに、心はそのままで、思っていることがいっぱいあるのです。もっと伝えたいのです。

ドラえもん、頭で考えていることを瞬時に声で再生する道具をください。

くだらない馬鹿話をする時間を、私にください。

私のバリトンボイスを返してください。

支えてくれている人たちに、ちゃんとありがとうと言わせてください。

家族の名前を呼ばせてください。

ALSを治してください。

恩田聖敬


恩田 聖敬(おんだ・さとし)
1978年(昭和53年)岐阜県生まれ。京都大学大学院卒業後、2004年複合レジャー施設「JJ CLUB 100」を運営するネクストジャパンに入社。2009年には取締役就任。その後グループ会社であるアドアーズの常務取締役として全国のゲームセンター店舗を回り、希望退職を実施し、大規模な改革を行う。親会社のJトラストでM&A等を担当した後、14年4月に岐阜フットボールクラブの代表取締役社長に就任。サービス業の経験と、会社管理の経験をフルに活かし、サッカービジネスにエンターテイメントの要素を導入も、社長就任と同時にALS(筋委縮性側索硬化症)を発症。病を公表後も社長業を続投したが、15年11月末の公式リーグ最終戦を以って病の進行により、止む無く社長を辞任。


この記事は、岐阜フットボールクラブ前社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年3月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。