なぜ保育園に「落ちる」のか

「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログが話題になり、国会でも取り上げられたが、話が本質をはずれてきたようなのでひとこと。

「保育園に入る子もいれば落ちる子もいるのは当たり前だ」という批判があるが、保育園に「落ちる」とはどういうことか。大学ならわかるが、保育園は子供の能力で選別しているわけではない。親の納税額で選別し、保育料も所得に応じて決める社会主義的な割り当てになっているから、高額納税者の子が落ちるのだ。

この納税額は、サラリーマンの場合はガラス張りだが、自営業者の所得捕捉率は低いので、高所得者でも納税額ゼロという人はいる。サラリーマンの家庭が高価な「無認可保育所」に預ける一方、保育料の安い公立の保育園に親がベンツで送迎しているという風景は珍しくない。

幼稚園の場合には、落ちるということはほとんどありえない。需要が供給を上回れば、新たに幼稚園ができるからだ。ところが保育園の経費の90%は補助金だから、簡単に増設できない。経営主体も社会福祉法人なので、「商業主義」の保育園の新規参入を妨害するため、需要に見合って供給が増えない。

供給不足のときは、市場経済では料金が上がり、保育サービスに高い価値を認める人が高い保育料を払うが、社会主義だとそういう資源配分ができないので、物不足が起こる。昔のソ連では、パン屋に長い行列ができた。保育園に落ちるのは、保育サービスの供給が足りないだけでなく、価格メカニズムが機能していないからだ。

この解決策は簡単である。保育園も幼稚園もコストに見合った料金にし、ベビーシッターも含めて公的補助を保育バウチャーでやればいいのだ。これは多くの経済学者が提言しているが、10年たっても実現しない。「国営化」された社会福祉法人の政治力が強く、厚労省の天下り先になっているからだ。

「スーパーグローバル大学」に何百億円も出すより、幼児教育に投資するほうがはるかに費用対効果が高い。老人に3万円ずつばらまく予算があるなら、未来のある子供に投資すべきだ。