人生ということでは、様々な偉人が色々な言い方をしています。例えば、アルベルト・アインシュタインは「人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない」と形容していますし、また昨日のブログで御紹介したビル・ゲイツさんであれば「人生とは、一つの大きなセミナーだ」と言われています。あるいは、ヘレン・ケラーは「人生とは、興奮に満ちている仕事のこと。最も興奮するのは、他人の為に生きるとき」との言葉を残しているようです。
此の人生というものに関しては、アイルランド出身の作家オスカー・ワイルドのように「人生は複雑じゃない」と言う人もいれば、芥川龍之介のように「人生は常に複雑である」とその逆を言う人もいます。常々申し上げている通り私は、人間社会を上回る複雑系は存在しないとの認識です。従って人生とは?と問われれば、複雑怪奇なものだと答えます。
現代人は、歴史や伝統といった形で過去からも様々受け継いで生きています。そして現在を生きる中では今起こる環境変化に色々と左右され、また将来見通しは各人夫々に違っていて見通し得ないのが実態です。之が複雑怪奇極まる人間社会というものであります。
同様に経済についても、所詮分かるものではありません。だから経済学者が100人いれば百人百様の考え方があると言っても過言ではない位、実際何が真理かは誰にも分からないような世界なのです。
人間社会とは此の経済でも組織でも様々な事柄が絡み合った複雑系であって、理論の類で簡単に割り切れないとは3年前のブログ『人間学と哲学・歴史学・経済学』等々でも指摘し続けてきた通りです。
上記複雑系においては、割り切りの知すなわち劃然(かくぜん)たる知では何も解決し得ずまた判断を間違うことにもなるわけで、簡単に割り切って行く知で以て、人と人の繋がりで成り立つ社会を上手くは歩み得ないということです。
最後に安岡正篤先生の御著書『東洋人物学』より次の言葉を紹介しておきます--人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物、そういうものにバッタリ出くわすことを考えなければならない。これを「多逢勝因」という。(中略)なんでも結構、とにかくあらゆるいい機会、いい出逢いに何か勝因を結んでもらいたい。人生というものはそういうことから始まる。ばったりだれかに出逢った、偶然、何かの問題にぶつかった、そういうところから人生は転回する。
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