最初から失敗がわかっている国家プロジェクト --- 竹内 健

アゴラ

 

少しずつ暖かくなってきて春はもうすぐですね。大学教員にとって、春は卒業・入学・進学の季節であると同時に、予算申請の季節でもあります。

昨年末に次年度の予算が閣議決定され、研究開発に使われる予算の金額や目的が決まります。

そして3月から4月にかけて研究プロジェクトの公募が行われ、大学教員や企業の研究者がチームを作って応募するわけです。

日本の国家プロジェクトは役に立たない、税金の無駄遣いと言われがちです。

失敗する理由は様々でしょうが、「これは必ず失敗するな」と研究をスタートする前からわかってしまうものもあるのです。

失敗というのは、研究の成果が出ないわけではない。むしろ、ほとんどのプロジェクトでは、研究成果自体は(学術的には)素晴らしい。

プロジェクトを企画する役所が、国家プロジェクトの目標を無謀なものに設定することは少ない。また、プロジェクトに応募・実施する研究者・事業者も、きっちりと成果は出す。

その結果、多くの国家プロジェクトが(学術的には)「成功」と評価されるわけです。

問題はそこから先です。

学術的には素晴らしい研究成果、論文が出ているのに、社会に還元されない。

国家プロジェクトが終わった後に、研究から開発・事業化の間にある「死の谷」を乗り越えられないのです。

その理由として、「ベンチャー精神がない」、「大学発ベンチャーが少ない」などと言われることもあり、そのような面も確かにあるでしょう。

一方、国家プロジェクトを始める前に、「いかに素晴らしい研究成果が出ても、事業化されないだろう」とわかってしまう場合も少なくないのです。

技術は事業を差別化するための重要な要素でしょうが、全てではありません。

事業が勝つための要素・環境が揃っていなければ、技術だけ開発しても駄目なのです。

例えば半導体業界では、CPUなどの最先端のデジタルLSIを製造できる企業はインテル、三星電子、TSMC、グローバルファウンドリーズなどに絞られました。

半導体の製造は毎年数千億円もの設備投資が必要な上に、技術の移り変わりも激しく、参入障壁が非常に高い上に後手に回ると追いつくことが極めて難しい産業です。

投資する財力がある中国企業でさえも、なかなか最先端の製造では先行者に追いつくことができていません。

スマートフォン向けのCPUでデファクトスタンダードを獲得したクアルコムでさえも製造は諦め、設計だけに経営資源を集中させることで事業を成功に導きました。

一方、日本の半導体の製造は、東芝フラッシュメモリ、ソニーのイメージセンサは高い競争力・市場シェアを保っていますが、CPUやシステムLSIなどのデジタルLSIでは完敗。撤退が相次いでいます。

残念ながら、微細化・高集積化を競うような最先端のデジタルLSIの工場はまもなく日本から消滅します。これは技術だけではどうにもならない問題です。

IoT(Internet of Things)とも呼ばれるように、今まで比較的ITが使われていなかった様々な産業、例えば医療、農業、交通、社会インフラなどもIT化が進みます。社会のいたるところにセンサが配置され、センサで収集されたデータをデータセンタに送ってデータを処理する。

IoTでも半導体は重要ですが、だからといって、何にでも投資すれば良いわけではありません。

残念ながらもう勝負が決し、日本が完敗してしまったデジタルLSIのデバイス、製造技術の研究開発をしたところで、たとえ素晴らしい研究成果を出ても事業で成功することはありえません。

このように、事業化の見込みがないことが最初からわかっているにもかかわらず、国家プロジェクトが実施されてしまうのはなぜでしょうか。

企業では事業化が見込めず、社内では「もうやめろ」と言われている研究開発を、国にすがって継続する。悪く言うと、研究者の雇用対策に税金が使われるわけです。

研究者本人は生き残りに必死なのでしょうが、税金が無駄使いされるだけでなく、有望な研究分野に転向するべき技術者・研究者を勝ち目の無い戦いに縛り付けることにもなります。

さて、役所の側からはどう見えるのでしょうか。

「役所が特定の企業・業界と癒着している」とか「技術動向、業界動向がわかっていない」などと批判されることも多いですが、必ずしもそれだけではないのではないか。

むしろ逆に、「国民の声」「民間の声」をよく聞いた結果、失敗プロジェクトができてしまうのではないか。

というのも企業内ではもうやめろ、と言われた研究者・事業者は自分の生き残りがかかっているわけですから、必死で役所にロビー活動をします。

一方、企業内で重視されている研究、比較的予算が潤沢な分野の研究者・事業者はそこまで必死に役所にロビー活動をすることは稀でしょう。

その結果、霞ヶ関の官僚には、凋落する分野の「国民の声」がとても大きく聞こえているのではないか。「大きな国民の声」を忠実に政策に反映させると、失敗することがわかっている国家プロジェクトが生まれてしまうのではないでしょうか。

政治家による役所への要請も同様です。選挙で選ばれた政治家は、国民の声を役所に伝え、国民の意思を政策に反映させるのは、必ずしも間違ったことではありません。

しかし、政治家に届く「国民の声」が偏っていたら、偏った意見が政策に反映されてしまう。

結局のところ、民間企業、役所、政治家がそれなりに真面目に仕事をした結果、間違った政策が実施されている場合も多いのではないでしょうか。

この負の連鎖を断ち切ることは簡単ではありません。

民間企業としては、自社では投資をしなくなった分野の雇用対策ではなく、自社ではできないリスクの高い分野、自社にない技術の研究開発のアウトソースとして国家プロジェクトを活用する。

官僚、政治家は一方的に聞こえてくる「大きな声」だけでなく、真に将来の日本にとって必要なことは何であるかを自ら探求する。そのためには、霞ヶ関の役所にこもっていては難しいでしょう。

最後に大学教員はどうすべきか。大きな国家プロジェクトでは大学教員が担がれたような形で取り纏めをやることが良くあります。多くの企業が参加する場合、リーダーは中立的な大学教員がおさまりが良いということです。

産業界の役に立ちたい、という善意でやる場合も多いのでしょうが、税金の無駄遣いに加担することになりかねないことを、自覚すべきでしょう。これは他人事ではなく、自戒を込めてですが。

竹内 健
朝日新聞出版
2016-01-20

編集部より:この投稿は、竹内健・中央大理工学部教授の研究室ブログ「竹内研究室の日記」2016年3月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「竹内研究室の日記」をご覧ください。