AIは「より良い政治」にどれだけ貢献できるか?

松本 徹三

コンピューター(AI)は「より良い政治」にどれだけ貢献できるか?

 「現代版の哲人政治は可能か?」と題する2月8日付の私のアゴラの記事は、それなりに色々な方に読んで頂け、色々なご意見も頂けた。勿論、その多くは、コンピューター(AI)に頼る事の問題点を指摘するものだったが、今回はこの様なご意見もよく咀嚼した上で、もう少しこの問題を深掘りし、具体案を提示したい。

アルファ碁の勝利は画期的な出来事

時あたかも、グーグル社のアルファ碁が人間のチャンピオンを4勝1敗で打ち負かしたニュースが世界を駆け巡り、「今回の勝負の意義は、将棋やチェスの名人を打ち負かした過去の出来事とは本質的に異なる」事が解説されている。即ち、最新のコンピューター(AI)は、過去の棋譜から人間が学んで作り出したルールに従って勝負するのではなく、無数の「良手」と見なされるものがもたらす結果を自ら学んで、ここから自らのルールを作り出し、これに従って勝負してきたというわけだ。

この世界の人達は、これを「ディープ・ラーニング」と呼んでいるが、我々はまだそのほんの入り口のところにいるに過ぎず、これからこの技術は幾何学級数的に向上し、次々に出てくる「ディーパー・ラーニング」が、驚くべき成果を我々人類にもたらすだろう事は疑いの余地もない。

また、これまでは、コンピューター(AI)が経済政策等を決める時に使えるという様な事を言うと、「プログラムを作る人の恣意が入る」として否定される事が多かったが、今後は、人間が作るプログラムは基本的な(大筋の)ものだけにとどめ、後はコンピューターが自らプログラムを作る事になるので、この批判は当たらなくなる。

しかし、「人間がルールを作った将棋や囲碁」と「実際の政治や経済」は、勿論、本質的に異なる。政治や経済には決まったルールがあるわけではなく、「何が勝ちで何が負けか」もよく分らない。

そもそも、「或る人にとっては勝ちだが、或る人にとっては負け」というのが常だから、これが「結局のところ良い事だったのか悪い事だったのか」は、コンピューターでは判断の下し様がない。「最大多数の最大幸福」というのは一応の判断基準かもしれないが、それでは「60%の人はまあまあ満足だが、40%の人は極端に不幸」というケースはどうなるのだろうか?

 

具体的な提案

そこで、私が現時点で提案したいのは、コンピューター(AI)に政策決定を委ねてしまうのではなく、それを「政策決定の補助」として使う事である。コンピューターは「こういう政策をとれば、こういう結果をもたらすだろう」という事を、その根拠を示しながら「確率」で示す。勿論、異なった政策がもたらす結果についても同様に示し、最終判断は人間(政府と有権者)に委ねる事にすればよい。

例えば、「消費税増税を延期する」という政策を政府が打ち出したいと考えているとしよう。政府がそうしたいのは、目先の経済指標をよくして、自らの経済政策に対する有権者の支持を得たいからだ。しかし、野党はそれに反対するだろうか? 反対すれば選挙に負けるから、決してしないだろう。その為に10年後に財政が破綻して、孫子の世代が辛酸を舐める事が予測できても、目前に迫った選挙の勝敗を前にしては、政治家達はそんな事には構っている余裕はないに違いない。

しかし、コンピューターはどうだろうか? コンピューターは選挙の当落には関係ないから、淡々と因果関係だけを分析して結果を予測する。有権者はここで初めて、「増税延期を提案する人間の政治家(与野党を問わず)」と「これに反対するコンピューター様」のどちらを支持するかを問われる事になるのだ。となれば、いっその事「我々は自分達がそんなに賢い等とは露程も思っておらず、従って、自らの独善的なポリシー等は何も持っていない。何事もコンピューターに分析させ、それをベースに民意に問いかけて、民意が求める事をやるだけだ」と言い切ってしまう野党が出てきてもよいのではないかとさえ思う。

 

「洞察力」や「直感力」をもったコンピューターは政治家を代替できる

それでもなお、将棋や碁とは比較にならぬ程の多様なファクター(人間の心理、社会的力学、等々を含む)が絡む「政治や経済の問題」には、コンピューター(AI)はとても対応出来ないと考える人達は多いだろう。しかし、それは「ディープ・ラーニング」の潜在力を理解しないが故だ。

この事を理解するには、人間の脳の働きをまず理解する必要がある。人間の脳は、基本的な事実関係などの知識(データ)を蓄積し、これに基づいて論理的に判断を下す(プロセス)能力を持っているが、ここで重要なのは、論理回路よりもむしろデータだ。

もしある人が過去において自分と近かった大人の男性を3人だけ知っており、その3人の全てが「暴力で全てを解決しようとするタイプ」だったが、人間的には極めて優しい良い人だったとしよう。そうすると、この人の頭の中には「良い人は暴力で物事を解決する(解決してくれる)」というデータが刷り込まれている。従って、この人は、一般論として暴力(戦争)を容認(支持)する。

人間の論理的思考能力は大して個人差があるわけでもなく、コンピューターと比べても演算スピードで劣るだけだが、各人が持っているデータには大きな差があり、実はこの差が最終判断に大きな差をもたらすのだと思う。

実は、人間の脳には、本人も全く意識することがない「驚く程の膨大なメモリー(その一部は経験から得られたものだが、一部はDNAの中に既に刷り込まれているのかもしれない)」が蓄えられている様であり、「天才」と呼ばれるような人達は、この膨大なメモリーから多くの類似のものを瞬時に抽出して、ここに一定の共通項(ルール)を見つけ出し、それをベースに思考する様だ。俗に「直感」とか「ひらめき」とか呼ばれているものも、実はこういうプロセスから生み出されているらしい。

しかし、このような「天才」が政治権力を持てるという保証はどこにもない。「コンピューター付きブルトーザー」と仇名された田中角栄元首相には若干こういうところが垣間見られたが、彼が政治権力を持てたのは、恐らくは不法行為により手に入れた膨大な金を、選挙と人心掌握に惜しみなく注ぎ込んだからだろう。

「ディープ・ラーニング」と名付けられた新しい能力を内蔵したコンピューターは、まさにこのプロセスをコピーしようとしていると言える。しかし、コンピューターは生まれながらにして「天才」であるだけでなく、金の力を借りずとも政策決定のカギを握る事が出来るところが凄い。

 

 

コンピューター(AI)はどこで人間を凌駕するか?

そして、これからのコンピューター(AI)が持つ能力はと言えば、下記の点で、世界中の如何なる人間の政治家をも凌駕する事は間違いないだろうし、「清廉潔白」という点でも全く問題はないだろう。

  • これからは、クラウドに日々蓄積されていく「集合知」とも呼ばれる膨大なデータを利用できるので、個々の人間が持つデータよりはるかに多種多様なデータを利用できる事になる。(この「集合知」の中には、記録に残された全ての「歴史的事実」と「現在進行中の事実」、即ち「世界中のあらゆる人があらゆる時と場所で経験した事」が、それをもたらした自然現象や人間の行為と紐付けられて蓄積されているわけだ。)
  • 参照するデータが一定量を越えれば、どんなに優秀な人間の頭でも「紐付け」や「推論」の能力が途中で限界に達してしまうが、コンピューターの論理処理能力ははるかに大きいので、比較的短い時間で全てのデータを処理してしまう事が出来る。
  • 政治家は自分の目標をあらかじめ持ってしまい、この為に役立つデータは最大限に膨らませて使う一方で、役立たない「不都合なデータ」は握りつぶしてしまうが、コンピューターはそういう事はせず、全てを公明正大に、一切の主観を交えずに使う。
  • コンピューターは買収されないし、どんなに罵声を浴びせられても平気だ。「暗殺の対象とされるのが怖いので、言いたい事も言えない」という事もあり得ない。(もしこの様なコンピューターが昭和初期の日本にあったら「もし日米が戦えば、日本は99%以上の確率で負け、国民はこのような悲惨な目にあう」と予言し、日本を救う事も出来ただろう。)

 

この能力をどの様に使って行くか?

冒頭でも述べたように、政治に関わるコンピューター(AI)がやる事は、その全知全能を使って、「多くの政策的選択肢」と「そのそれぞれがもたらす結果とそれぞれの確率」を、分り易い形で全ての国民に提示する事だけだ。参政権を持ったそれぞれの国民は、これをよく理解した上で、自らの価値観に基づいて「一つの選択肢」を選び、このプロセスが踏まれた結果として「最多数の国民に選ばれた政策」が、時の政府によって実行される事になるのが望ましい。(これを忌避する内閣は総辞職するしかない。)

コンピューター(AI)がこのような能力を持ち、それが威力を発揮するに足るだけのデータ収集システムがほぼ完璧な形で稼働するに至るには、なお20-30年の歳月が必要となろうが、それ以前でも、この様なシステムが「目標とする能力の10%以上」を持つに至ったと判断されれば、その時点から、政治経済運営の参考としてこれを使うべきだし、そうしない理由はどこにもないと思う。

我々が先ずやるべき事は、この様な将来システムを作っていく為の「国立の研究開発期間」を創設し、全国民に完全に開かれた形でこれを運用していく事であろう。