合意から20年たっても実現しない普天間返還

松田 公太

日米両政府が普天間飛行場の全面返還を合意してから今日で20年です。

1996年4月12日、橋本総理とモンデール駐日大使によって発表された内容では、5~7年以内に返還されることになっていました。

しかし、未だに実現していないのはご存知の通りです。

その最大の原因は、「移設」という条件が付いていたことです。
普天間は解放されますが、別のところに米軍施設の負担を背負ってもらわなければなりません。

その候補として日米の政府間で決められたのが名護市辺野古でした。

しかし、沖縄県民が本当に望んでいたのは無条件での返還だったこと、名護市の住民投票でも反対派が多数だったことなどから、辺野古への移設はなかなか進みませんでした。

岸田外務大臣は、昨日、広島市で開催中のG7外相会合でケリー米国務長官と会談した際、「辺野古が唯一の解決策だ」と伝えたとされています。しかし、国が力ずく沖縄県や名護市に言うことを聞かせようとしても問題を悪化させるだけだと思います。

根本的な解決のためには、日米間で無条件返還の合意をし直すか、それが無理ならば移設先を地方自治特別法によって定めるしかありません。

*こちらの記事もご覧ください↓
http://ameblo.jp/koutamatsuda/entry-12089168076.html
http://ameblo.jp/koutamatsuda/entry-12012074624.html

そもそも在日米軍基地は沖縄だけの問題ではなく、日本の外交防衛に関する国政の重要事項ですので、国会で国全体の代表者が議論し、「立法」によって定めることが不可欠です(憲法41条)。

そして、その際には特定の地方公共団体(名護市)に大きな負担を強いることになるため、住民投票が必須となります(憲法95条)。

憲法の特別法の規定は、まさに今のような状況にこそ適用されるべきものです。いつまでも、政府(安倍政権)vs沖縄の構図でやり合うのではなく、国会において法律事項として議論し、可決された場合には住民投票にかけて決する。
住民投票にかける時は、負担の代わりに何を地元は得られるかを明確にする。

その道筋を選ばなければ、あっという間に経ってしまった20年のように、これから先、20年後も同じ状況から抜け出せずにいるでしょう。

袋小路に入ってしまった時こそ、無理やり物事を推し進めようとせず、国全体で話し合う。

政府vs沖縄の裁判で政府側が勝訴し、強引に基地を設置したとなれば、それこを「押し付けられた」という憎しみがいつまでも残ってしまい、沖縄にとっての戦後は続くことになってしまうのです。


編集部より:この記事は、タリーズコーヒージャパン創業者、参議院議員の松田公太氏(日本を元気にする会代表)のオフィシャルブログ 2016年4月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は松田公太オフィシャルブログをご覧ください。

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