フランスで原子力はなぜ受け入れられたのか

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(写真)フランスの農村地帯にあるシボー原発

GEPR編集部

原子力に対する懸念と批判は世界的に著しい。それは福島事故を起こした日本だけではない。どの国も容認はしているが、全面的な賛成は多数を占めない。ところがフランスは全発電量の4分の3を占める原子力大国で、その政策に世論の支持がある。

なぜ可能になったのか。フランスの政策を紹介した興味深い文章を紹介したい。米公共放送のPBSのディレクターコラムだ。日時は明示されていないが、おそらく2001年頃の古いものと推定される。現状は大きく変わらないが、福島原発事故の後、オランド社会党政権は原発の割合を近日中に50%以下に下げる目標を掲げている。また核廃棄物の処分場も、フランス北東部のピュールに決まったが建設は難航している。(毎日新聞記事「最終処分場計画で苦悩するフランスに重なる明日の日本」)

フランスは科学者の権威が強く、国民の冷静さも影響した。ただし後半で示されるように、核廃棄物の処分の問題ではもめている。日本にも参考になるだろう。

(以下抜粋)

フランスはなぜ原子力エネルギーを好むのか

PBS (サイト

シボー原発が稼動すれば、フランスでは56の原子炉が動き発電の76パーセントを担うことになる。

アメリカとは違ってフランスでは原子力発電所エネルギーが受け入れられている。シボーの人は、誰もが、選ばれたことを喜んで、懸念を示さなかった。原子力発電所は、仕事と富を運んでくる。

フランスの原子力活用の政策は、1973年の中東から始まったオイルショックにさかのぼる。OPEC(石油輸出国機構)諸国が、原油の値段を4倍にした。当時のフランスは大半が石油で、化石燃料はなかった。

歴史上最も包括的な原子力エネルギーの促進計画が立案され、実行された。次の15年間でフランスは56の原子炉を建設し、電力需要を担い、他の国に電力を輸出するまでになった。しかし、驚くべき事に後述する一つのことを除いて、激しい反対はなかった。なぜだろうか。

フランス人の科学への敬意

フランス・エネルギー省のクロウド・マンディル事務局長は三つの理由を挙げた。

第一に、フランス人の独立志向だ。移ろい安い他地域、特に中東諸国の石油に依存することはフランス人に耐えがたいという。フランス人に聞くと、誰もが「石油がなくガスがなく石炭がなく、そのために選択肢がないからだ」と即答するそうだ。

第二に、文化的な要因がある。フランスは、巨大な集権的プロジェクトを歴史的に好む。という。「原子力が好きなように、高速鉄道や音速ジェット機をフランス人は好き」という。その結果、技術者や科学者の社会的地位が高く、米英で弁護士が行政やビジネス界で多いように、理系教育を受けた人が行政機関など、さまざまな場で活躍している。

第三に、フランス政府、関係諸機関が、原子力のリスクと同様に経済的利益があることを強調し、人々に利益を認知させたことにあるという。抗告は多く、フランスの原発は市民を見学に誘い、年600万人が訪問する。

その結果、どの世論調査でも3分の2の人が原子力発電の推進を強く支持している。ただし心理学者の調査によれば、米国と同じように、フランスの市民も原子力に関して同じように不安など否定的な印象を持っているが、文化的、経済的、政治的諸要因で、政府の推進政策を支持する結果になっているという。

シボーの市民に話を聞くと「原子力には特別な技術が必要だ。チェルノブイリ事故を起こしたロシア人は責任を果たしていなかった」「確率の上ではダムでせき止められた川の流域の方が危険だ」(フランスの水力は12%)という答えが返ってきた。

 使用済み核燃料問題のつまずき

しかし使用済み核燃料の処理問題はうまくいかなかった。フランスは核燃料サイクル政策を採用し、その減容とプルトニウムの利用を考えた。高レベル廃棄物の量は、4人家族が20年生活したとして、たばこ一本分の容積にすぎない。官僚たちは70年代、簡単に処分場の候補地が見つかると考えていた。「原発を作ることは誇りに思われたが、処分丈は拒否された。経済的利益はあまり考慮されなかった」という。

議会と行政府は相談し、1990年国会内に特別委員会をつくり解決を委ねた。モーリス・バタイユ議員が委員長になった。「フランスはアングロ・サクソン系の国と違って行政府の権威が強い。行政が議会に依頼するということは、問題解決の手がなくなったということだった」とバタイユ氏は言う。

バタイユ氏は反対派と話し合い、官僚達が間違っていることを理解した。官僚達は、補助金を払い、説明すれば、解決すると思っていた。しかし反対は感情的なものだった。

「フランス人にとって大地に埋めるということは、感情的で、神話の世界にまでさかのぼるような拒否感を生んでいた。地下は死者を埋葬する場所であり、神聖な意味を持っていた。土壌と地球を汚すようなイメージを、反対派は抱いていた」という。

官僚達は「永久に埋める」という言葉を使い、そうしようとしていた。バタイユ氏はその言葉を使わず「処分地」を「保管地」と言い換え、「一時的に置き」また「将来は取り出せることが可能」という形にした。

この変更は感情的なものではないという。最終的な手を離すという事ではなく、いつでも取り出せるようにして、政府の関与を明確にした。また100年以内には、核廃棄物の放射能を減らす技術も開発される可能性があるとされるためだ。そしていくつかの実験施設をつくってデータを集め、2006年までに最終処分地を決める予定だ。もし決まらなければフランスの原子力促進政策は止まってしまうと、関係者は述べた。

 (翻訳・構成 石井孝明)