米最高裁 グーグル書籍検索サービスのフェアユース容認(上)

城所 岩生

グーグルは2004年に出版社や図書館から提供してもらった書籍をデジタル化し、全文を検索して、利用者の興味に合った書籍を見つけ出す書籍検索サービスを開始した。

グーグルブックスとよばれるこのサービスに対して、2005年に全米著作者組合などが著作権侵害訴訟を提起した。著作権が切れていない書籍が提供された場合、検索結果は「抜粋(スニペット)表示」とよばれ、ウェブ検索と同様、検索ワードを含む数行が引用される。原告側は許諾なしに図書館の書籍をスキャンすることは著作権者の持つ複製権を侵害する、と主張した。グーグルは、検索用データベース作成のために全文を複製・蓄積するが、閲覧できるようにするのは一部だけなので、フェアユースにあたると主張した。

著作権法は著作物の利用と保護のバランスを図ることを目的とした法律である。著作物の利用には著作権者の許諾を要求して保護する一方、許諾がなくても利用できる権利制限規定を設けて利用に配意している。わが国の著作権法はこの権利制限規定を「私的使用」「引用」など個別具体的に列挙しているが、米国は使用する目的がフェア(公正)であれば、許諾なしの利用を認める権利制限の一般規定として、「フェアユース」規定を置いている。フェアな利用であるかどうかは、「原作品の市場を奪わないか」などの4要素を考慮して判定する。

2008年に両当事者は和解案を発表した。和解案はベルヌ条約の関係で全世界の著作権者に影響を及ぼすことが判明。日本の出版界にも黒船騒ぎを引き起こしたが、裁判所が承認しなかったため、2011年に訴訟に復帰した。

2013年、ニューヨーク南連邦地裁はフェアユースを認める判決を下した。この判決については、教育・研究目的の著作物利用にフェアユース判決が相次ぐ米国(その2)で紹介した。判決を書いた判事が口頭弁論で原告に対して、「自分の書記もリサーチに重宝している」と指摘したように、サービスのもたらす社会的効用が評価された。

判決を不服とした全米著作者組合は上訴したが、第2巡回区控訴裁判所(以下、「第2控裁」)も2015年に地裁判決を支持する判決を下した。判決は最初にフェアユースの法理について以下のように解説する。

「合衆国憲法第1編第8節8項は、『著作者および発明者に対し、一定の期間その著作および発明につき独占的権利を確保することにより、学術および技芸の進歩を促進すること』と定めている。したがって、著者は疑いなく著作権の意図した受益者であるが、究極的かつ主たる受益者は公衆である。著作権は、著者に報酬を用意することによって、公衆の知識へのアクセスを追及しているのである。」

米国の判決を読んでいると、保守的な日本の裁判所の判決文からは考えられないような「あっと驚く」文章に遭遇することがままある。「著作権の究極的かつ主たる受益者は公衆である」との指摘もその一例だが、これについてはデジタル世界における市民の自由を擁護する非営利団体の電子フロンティア財団でさえ、「われわれ自身でもこれほどうまく表現できない」と賞賛している。

グーグルブックスが、いかに究極的受益者である公衆の便益に貢献しているかは、教育・研究目的の著作物利用にフェアユース判決が相次ぐ米国(その2)のとおり、事実認定をした地裁判決が分析している。

続いて判決は、フェアユースの法理を最初に導入した1841年の判例を紹介する。フェアユースの条文化は1976年の著作権法大改正まで待たなければなないが、考慮すべき4要素はすでにこの判例で示されている。

日本へのフェアユース導入反対論の論拠の一つに法体系の相違をあげる論者がいる。米国は判例法主義の国であり、日本は成文法の国である。長年の判例の蓄積から生まれたフェアユースを判例法の国ではない日本にいきなり持ち込むのは無理がある、とする主張である。条文化に1世紀以上の判例の積み重ねがあったことは間違いないが、骨格は1841年にすでにでき上がっていたわけである。

さらに言えば、裁判所は法律にしたがって解釈するのが仕事である。法律で決めれば粛々と解釈するはずなので、この反論にはあまり説得力がない。(下)で紹介するとおり、英米法の国でない台湾、フィリピン、韓国などが次々とフェアユースを導入している事実もこれを裏付ける。

結論として第2控裁は、「グーグルによる著作権のある作品の許諾なしのデジタル化、検索機能の付与、作品からのスニペット表示は、著作権侵害にならないフェアユースである」と判定した。全米著作者組合は連邦最高裁に上訴したが、2016年4月、最高裁は上訴不受理を決定したため、第2控裁のフェアユース判決が確定した。