ナチスからの輸入なのに護憲左翼がスルーする税制

新田 哲史

ニコニコ超会議

どうも新田です。きのうニコニコ超会議に参加し、アゴラチャンネル「今年生まれた赤ちゃんの人生はどうなる?」で対談してまいりました(YouTubeはこちら)。

今年生まれる子供を持つ親として、社会保障の受益負担の不公平極まりない話や、無為無策ないまの政治について、なんだかなあ、と思うところを虚心坦懐に話したわけですが、有権者の多数派である高齢者の不利益になるようなことを、政治家がわざわざやるインセンティブがない“シルバー民主主義”を理由に我々世代が何も考えも行動もしないのは、ダメなんじゃないかと考えさせられた次第です。

日本人の納税者意識醸成を阻むアノ制度

日本の戦後政治は、一部の例外を除き、高度成長期時代の追い風もあって「大きな政府」路線の政党が大半を占め、社会保障を大幅に見直すような「小さな政府」路線の政党、政治勢力が育たない土壌になっております。去年12月、静岡出張の折、田原総一朗さんと移動中のバスでサシ対談した際に指摘されたんですが、自民党は「大きな政府」、当時野党第1党の民主党は「より大きな政府」という感じで、政権交代しても根本的な違いは少ないわけです。

その時、田原さんが「日本人は小さな政府は嫌いだ」とおっしゃったことについて、その原因は何なのだろうとずっと考えていたんですが、番組終盤の議論で、池田から「日本のサラリーマンは源泉徴収制度があるから、自分たちで税金を払わない。だからタックスイーター(tax eater)を嫌う意識が育たない」という趣旨の話をしていて、ああ、なるほど、やっぱり、そこに行き着くわけですね、と再認識したわけです。

私もまさにそうだったんですが、自営業者に転身してから、税・社会保障の負担に青色吐息。以前、地元の港区議会を取材して、こんなクソみたいなことが発覚してからは、こんなヤツらの給料の原資となる我が血税を払うことに怒りも湧くし、正論を言う議員や候補者を応援したくなるのも「痛税」を実感しているからです。

>>港区議会が、議員の取材対応を制限していた(東洋経済オンライン)

番組でも触れましたが、源泉徴収システムは、ナチスドイツが戦費調達を効率化するために発明したもので、戦前の日本も輸入して1940年に導入しました。ええ、そうです。かの野口悠紀雄先生の名著「1940年体制〜さらば戦時経済〜」でも指摘された、「戦時レジーム」を象徴する税制なわけですね。

1940年体制(増補版) ―さらば戦時経済
野口 悠紀雄
東洋経済新報社
2010-12-10

 

 

まあ、国からすれば、これほど便利な“チャリンチャリン”課金システムは無いわけで(苦笑)。なので、アメリカのように、源泉徴収の制度はあっても、年末調整は会社員が自分でするようにならず、痛税感を毎月、毎年味わわなくても済んでしまい、「タックスペイヤー」としての感覚が育たなくなってしまったわけです。GHQ統治下でも、源泉徴収制度を虎の子のように守り抜き、しぶとく生き残らせた日本の政治家や官僚の目論見は、きっとその辺にあったのでしょうし、それは現在も財務省あたりで息づいているんじゃないでしょうか。

ヒトラーが作った制度を、“平和護憲政党”がなぜスルー!?

面白かったのは、番組終盤、視聴者から「ヒトラーが作った制度なのに、野党が廃止しろと言わないのはおかしい」という趣旨のコメントが寄せられたことでした。ここで言う野党とはおそらく民進党の左派や社民党、共産党を指すと思うんですが、実に秀逸な指摘です。あれだけ「平和を守れ」「戦争法は廃止」とか叫んでいるんだったら、戦費調達のために発明された源泉徴収制度について問題意識のかけらも伺えないのは、皮肉ですね。

まあ、でも考えてみれば、ナチスの邦訳は「国家社会主義ドイツ労働者党」であり、アウトバーン建設に代表される世界恐慌後の国家を挙げた公共工事政策なんて、まさに「大きな政府」路線そのもの。軍事や平和に対する考え方はナチスと真逆であっても、経済政策に関する哲学は、統制的な性格を持っている点で(程度の差はあるにしても)共通する要素もあるんじゃなかろうか、、、なんて言ったら、福島みずほセンセが「キー」と怒り出す暴論になっちゃうでしょうか。

サラリーマンが唯々諾々と受け入れ、納税意識を停止させている元凶が源泉徴収制度や年末調整制度である、と考えると、それら制度の見直しの論議を始めることも将来の社会保障改革をみんなが考えるようになるための契機かなと思います。個人的には、もし夏の参院選で、制度見直しを政策に掲げる奇特な政党や候補者が出てきたら、私は十中八九、投票すると思います。まあ、でも現実味がまったくないのが悲しいこの頃です(苦笑)ではでは。

新田 哲史
アゴラ編集長/ソーシャルアナリスト
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