人気作家、池井戸潤氏の「七つの会議」はクライムノベル、つまり犯罪小説として大ヒットしている小説ですが、その犯罪とは「リコール隠し」そのものであります。たかがネジの納入価格を下げるため、強度を犠牲にしたためにいかに大事になるのか改めて考えさせられます。小説に描かれる社内の人間模様はリアルで責任を負わねばならない経営者が「大きすぎて公表できない」と判断する一方、正義感があるのは一般社員だったりするのは如何にも実際にありそうな小説であります。
その世界の最近の代名詞といえばフォルクスワーゲンにエアバックのタカタ、そして三菱自動車であります。フォルクスワーゲンのリコール費用は4兆円以上とも言われています。タカタは1兆円規模です。三菱自動車は狭義のリコールではないのですが、「不正」を理由に型式認証を取り消される方向で検討されているようです。また、運悪く、その対象車は日産自動車と共同開発車も含まれています。日産からのクレームがいくらになるのか全くもって想像できませんが、会社経営の屋台骨を揺るがす規模になることは間違いないでしょう。
タカタの場合、同社の年間売り上げ規模が7200億円、利益が400億円水準ですので1兆円のもの負の荷物を背負い、今後何十年とそれを返済し続けなくてはいけないと考えるとわずかな判断ミスが引き出す巨額の損失負担はやりきれないものがあるでしょう。それ以上に優秀で夢を求める社員の確保は難しくなってしまいます。
似たような事件は過去、いくらでも起きており、食品などの偽装による大手企業や有名店が払った代償も大きなものがありました。或いは貸し切りバス業者の管理も問題になりました。最近は食品偽装やバス運営の問題は落ち着いているようですが、マスコミやSNSを通じた加速度的な拡散もあり、経営者が偽装、不正問題にかかる「コトの大きさ」を認識し、多少減ってきたのでしょうか?ただ、私にはこれも一つのトレンドに過ぎず、今はたまたま、自動車業界にその焦点が移っているだけのような気がします。
なぜ人は偽装や不正をするのでしょうか?ギリギリの仕事を要求されているしかるべきポジションの方が入ってはいけない領域へ踏み込んでしまう精神力の弱さなのでしょうか。かつて企業に於いてタブーを犯したのは偽装、不正だけではありません。シャンシャン株主総会を仕切った総会屋と企業総務部との関係は「当たり前」の時代すらありました。
私が勤めた上場建設会社。株主総会を30分以内で終わらせるための作戦はいつも綿密に練られていたと思います。そしてその時暗躍するのが大手企業なら必ず一人や二人いる「警察OB」であります。この人たちの多くは総務担当部長とか無任所役員という役職を貰い、ある時にだけ異様な力を発揮してくれるのであります。
今はなくなった反社会的組織との繋がりもかつて多くの企業からボロボロと出てきたことがあります。なぜ、裏社会の人と上場会社が繋がるのか、不思議だと思われる方も多いでしょう。しかし、企業活動には時として「とんでもない」トラブルが発生することがあります。そのトラブル処理に対して甘い言葉ですり寄ってくるのが裏の世界の人。その甘い汁は劇薬なのにいったん味わったら止められない麻薬のような刺激すらあったのでしょう。
これは企業が大きくなり、役職者の責任が重くなり、会議などで多くの人から責め上げられ、実績を残さねばならない強度のストレスが引き起こす企業活動の歪とも言えるのでしょうか?例えば私は株主であり、社長であり、実務もこなしますから社内から突き上げを食らうことはありません。それは社内環境としてはやりやすいのですが、その分、頑張りが足りなくなると思われがちです。刺激も少ないかもしれません。
一方で、私のところで働く多くの日本の若者が「日本ではとてもやっていられない」とこぼしていることも事実です。サラリーマンが結婚でもして子供でも出来ればおいそれと転職のオプションを取れなくなります。それは仕事が見つからなかったらどうしようとか、収入が減ったら家計が立ちいかなくなるというマイナス思考が出てくるからです。これが動きが取れなくなる被雇用者の苦しさであり、禁断の世界に足を踏み入れる引き金になっているのかもしれません。
大手企業は万単位の従業員を雇っています。その末端に至るまで完全なるガバナンスを求めるのがいかに難しい世の中になったのか、改めて感じてしまいます。企業戦士とはある意味、本当にうまくいったものです。
では今日はこのぐらいで。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 5月2日付より