清水真人さん著「財務省と政治」。松井孝治さんのブログで知り、新書だからと軽い気持ちで読み始めました。怖ろしい本でした。立ち止まり立ち止まり、読み終えるのに1か月かかってしまいました。
「55年体制の爛熟期から安倍政権まで、大蔵・財務省と政治の綱引きを追い、それを平成の統治構造改革の潮流にも位置づけて実像を描く仕組み」(まえがき)。
55年体制、細川政権、金融危機、接待問題、財金分離、小泉政治・竹中平蔵、リーマンショック、民主党政権、311、アベノミクス。常に政治の真ん中に大蔵・財務省がいた。驚異的な取材、資料、分析の厚さと緻密さ。濃い史実の連続です。
ぼくの官僚時代の記憶と交差する3点。
1) 94年のガットウルグアイラウンド合意を受けた国内農業対策、農家保護に6兆円。農水族に敗北した失政。当時パリから政府を眺めていて、政治の行き詰まりを感じました。
2) 95年、中島義雄・田谷廣明主計エースの不祥事。猛烈な官僚バッシングがその後の財金分離、省庁再編へとつながりました。大蔵官僚を接待した経験のあるぼくは、収賄でなく贈賄での身の危険を感じました。
3) 97年、22省庁を半減した橋本行革。ぼくは郵政解体のダメージを最小限に抑えることに奔走し、それで役所を辞めましたが、政府全体としてはそれよりも財金分離と官邸強化という大仕事で成果を上げました。通産vs大蔵で通産の勝利、と見てもよいかと。
その後の小泉劇場「5年5か月間、財政規律にこだわりながら、増税の封印は解かなかった変人宰相」。言い得て妙です。
そこに登場する竹中平蔵さんを追う精密な目もスゴい。小泉政権当初、対財務省で経済財政諮問会議とタッグを組もうとしたのに経産省にソデにされ、その後経産省は小泉改革の脇役に回った、とあります。そうだったのか。こんど岸さんに聞いてみよっと。
一方、竹中大臣ー武藤財務次官が秘密協議を数十回行って官邸を支えたという記述も。これも知りませんでした。
鳩山民主党政権になると、政治主導=官邸排除が鮮明になりました。が、財務以外の閣僚も財務官僚を秘書官や補佐スタッフとして身近に置いて、実質は財務省頼みだった。そう、裏側では全部を仕切って平然としている、これが財務省の凄味です。
3.11の復旧・復興では、主計局中心に霞が関をとりまとめ、迅速な危機対応がなされた。これは当時ぼくも経産・総務官僚からよく聞きました。民主党政権では寝っ転がっていたが、国難に際してガバっと起き上がり、司令塔になったと。
安倍政権では、首相の秘書官室に3人の経産官僚が配備され、反財務色を強くした。2014年末の法人税下げ、党税調会長更迭、消費税軽減を巡る官邸の圧勝には、それが反映されています。
これからどうなるのか。稲田朋美政調会長と甘利明経済財政大臣との論争を経て、稲田さんらが新たに財政起立派=財務省寄りの系譜に名を連ねるのかどうか、という記述。そろそろ安倍政権第2ラウンドでしょうか。
「政権交代を内包しつつ首相主導への流れを強める「平成デモクラシー」が、政官関係を政治優位に傾かせる不可逆的な構造変化をもたらし、「最強官庁」財務省をも押し込んでいる」と締める。それが続くのかどうか。大蔵-財務省のDNAは、次を展望していると思います。
うん、と思ったのは、主税局長が「税制改革のプログラムを紙に書くだけなら、すぐにでも書 けます。しかし、書いたものを現実の政治の中で実行できなければ、何の意味もないのではないですか」と大臣に言うシーン。このリアリティが大蔵・財務省。
なんやかんや言って、結局ぼくは、この世界がスキなんだな、と読み終えて気が付きました。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年5月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。