石原慎太郎氏が文芸春秋5月号に「角さんと飲んだビール」というエッセイを載せている。石原氏は今年1月に田中角栄の生涯を一人称で描いた「天才」を上梓、たちまち45万部を超える大ベストセラーとなった。では、なぜ描いたのか。その経緯を記している。石原氏は角栄絶頂期の74年、9月号の文芸春秋に「君、国売り給うことなかれ――金権政治の虚妄を排す――」という論文を寄稿、角栄の金権政治批判の突破口を開いた。
これが引き金となって同11月号に立花隆氏の「田中角栄研究――その金脈と人脈」、児玉孝也氏の「淋しき越山会の女王」が掲載され、12月に角栄は内閣総辞職に至る。
だが、角栄の没後23年、ロッキード事件逮捕後40年を経た今、角栄の政治を振り返ると、その偉大さがわかる。
<今の政界を見渡しても、角さんに匹敵するような政治家はいませんね。……今回、『天才』に大きな反響があったことで、改めて根強い角栄人気を実感しました。この作品を書いたことで、角さんにいい弔いができたな、と思っています。>
角栄人気の一端がタイトルの「角さんと飲んだビール」にある。
<私がスリーハンドレッドクラブ(神奈川県茅ヶ崎市)のテニスコートでテニスをしていた折、昼食をとりにクラブハウスに引き上げていくと、青嵐会で一緒に田中角栄批判を繰り広げた玉置和郎が座っている。その向かいにいた人物が、角さんだった。驚いたけれど仕方なく一礼したら、角さんはいかにも懐かしげに「おお石原君、久し振りだな、ちょっとここへ来て座れよ!」と言って、自分から立っていき、窓際からイスを持ってきて自分の横に据えたのです。僕が「いろいろご迷惑をおかけしまして、すみません」と頭を下げたら、「ああ、お互い政治家だ。気にするな。ここへ来て座れよ」と言ってまた自ら立ち上がり、近くにいたウエイターに「おい、ビールをもう一つ」と頼んでくれたのです。この人はなんという人だろう、と思わずにはいられませんでした。僕にとって、あれは他人との関わりで生まれて初めての、恐らくはたった一度の経験でした>
考え方の違う人間を握手や酒によって巻き込み、自分の影響力をじわじわと広げるのは政治家の本能的な行動であり、上記の例は珍しいことではない。
だが、角栄は極く自然に自分から行動に出てイスを窓際から運び、ビールを勧める。それが徹底し、イヤミを感じさせないのだ。田中派などに典型的な「一致団結、ハコ弁当」の一体感を嫌う石原氏のような政治家さえ引き付けてしまう魅力を角栄は備えている。
私の極く小さな思い出話を添えよう。昔、日経ビジネスの記者をしていた時、当時の編集長(後に日本経済新聞社の社長、会長を経験した杉田亮毅氏)がロッキード事件後、マスコミがほとんど寄り付かなかった田中角栄氏に接近し、編集長インタビューを実現したことがあった。
その際、杉田編集長から聞いた話だが、昼食時に田中氏は自ら食事を用意、編集長に振舞った。中味はカツ丼だ。当時、日経側は速記を2人つけた。速記が遠慮して「それでは(昼食中)私たちは一時、引き上げます」と言って、腰を浮かしかけると、角栄氏は「ああ、君たちもそのまま」と制して、同じカツ丼を速記にも振舞った。
上等のカツ丼である。杉田氏は「うまかった。ああして、だれにも分け隔てなく対応するのが角さんの人気の秘密だ」と言っていた。
私も同感である。誰に対してもきめ細かくあれほどの行動力を示した政治家は稀である。必要な事は夜を徹して勉強し、戦後、最も多くの法律を議員立法で成立させて通した。
だが、彼は金権政治と最も深く同居した。「君、国売り給うことなかれ」と言わざるを得ないほど。その角栄氏を石原氏は「あれほどの政治家は今いません」と指摘し、最も懐かしく想い出す。現在の政治の実情がそこにある。