難民問題は政治生命を縮める?

アルプスの小国オーストリアのファイマン首相が9日、辞任を表明した。同首相は2008年12月から7年半、連邦首相と与党「社会民主党」党首を務めてきたが、先月24日実施された大統領選で社民党擁立の候補者ルドルフ・フンドストルファー前社会相(64)が4位と与党候補者としては初めて、今月22日に実施される決選投票に進出できず敗北したことから、党内で責任を追及する声が出ていた。


▲辞任を表明するファイマン首相(社民党党首)=社民党の公式サイトから

ファイマン党首の辞任表明を受け、社民党は今月17日までに次期党首を選出し、6月25日の臨時党大会で正式に党の新体制を発足する予定だ。なお、次期臨時党大会開催までウィーン市のホイプル市長が暫定党首を務める。

ファイマン首相は同日、「わが国は雇用問題、難民問題など多くの難問に直面している。それらに対応するためには党内から全面的信頼と支援が不可欠だが、それが得られなくなった以上、職務を継続できなくなった」と述べ、辞任理由に挙げた。

ファイマン首相の辞任はやはり衝撃的だったが、決して予想外ではなかった。首相辞任要求は党内でこれまでも何度も囁かれてきたが、首相自身が辞任要求を強く拒否してきた経緯があったので、9日の党幹部会であっさり辞任表明するとは党幹部たちも予想しなかったため驚いたという(ホイプル市長)。

ファイマン首相が辞任に追い込まれた直接の契機はやはり大統領選の与党候補者の惨敗だ。ファイマン首相としては今秋開催予定だった党大会まで党の立て直しに専心する意向を表明してきたが、党内の反ファイマン陣営を説得できなかった。

ファイマン首相を決定的に窮地に陥れた主因はやはりその難民政策だ。昨年9万人以上の難民がオーストリアに殺到した。首相自身は当初、メルケル独首相と同様、難民歓迎政策を実施してきたが、難民収容が限界に直面し、国民の間で難民受入れ反対の声が強まっていった。そこで国境監視の強化、難民受入れの最上限設定など強硬政策に修正していった。それに対し、社民党内左派や青年部党員から厳しい批判の声が出てきて、党内の結束が乱れていった。

ファイマン首相にとってショックは5月1日のメーデー集会で演説中にも辞任を要求する声が飛び出し、「ファイマンは辞めろ」と書かれたプラカードを掲げた大勢の党員の前で演説が妨害されたことだ。メーデー集会は本来、党の結束を内外に示す慣例の労働者集会だが、その集会で党首の辞任要求が飛び出した。ホイプル市長が党内の一体化を求めて調整役を演じたが、首相の辞任以外の選択肢がなくなっていったわけだ。

ファイマン首相の任期中に実施された総選挙(2回)、今回の大統領選、州選挙の計21回の選挙戦で19回、社民党は得票率を失っている。同党首の下で選挙は戦えない、といった声が党内でくすぶり続けてきた。

社民党はこれまで極右政党自由党と一線を敷き、中道保守政党「国民党」と2大連立政権を構築したが、両政党は政策で大きく異なり、教育政策など党の公約を実行できず、党員を失望させてきた。誰が次期党首に選出されたとしても、失った国民の信頼を回復することは容易なことではないだろう。

いずれにしても、ファイマン首相の辞任劇は、難民問題が目下、欧州の政治指導者の政治生命を危うくさせるアジェンダであることを改めて実証したわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年5月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。