低学歴の日銀はなぜ失敗したのか

今さら聞けない経済教室

先日のアゴラの記事でも書いたように、大学教育で人的資本が蓄積される効果は無視でき、特に文系の学部は若者の労働機会を4年間奪う点で、労働人口の減少する日本社会では有害である。

ただし理系では学位が重要な意味をもつ。たとえば学卒で素粒子論の研究者に応募しても、アインシュタインのような超天才でないかぎり採用されないだろう。文系でも金融政策は高度に専門的で、自然科学と似た面がある。日銀総裁が法学士で、政策委員に博士も修士もいない低学歴の中央銀行は、先進国に例をみない。

もちろん現実の経済は複雑で流動的なので、勘と経験が必要な部分もあるが、黒田総裁の経済学の理解は70年代の「どマクロ」で止まっている。この拙著は高校生を読者に想定したものだが、そういう古いマクロ政策が今回の日銀の失敗の原因であることを説明した。

インフレ予想については、1968年のフリードマンの論文以来、多くの学問的蓄積があり、「自己実現的なインフレ予想で景気がよくなる」などという幻想は否定されている。黒田氏の「2%のインフレ目標がグローバル・スタンダードだ」などという話は、学会で発表したら失笑ものだ。

ただしインフレで景気がよくなる経路が、理論的には二つある。フリードマンの指摘したように、インフレで実質賃金を切り下げて失業率を下げる効果と、金利を下げると為替が弱くなって輸出が増えるマンデル=フレミング効果だ。

安倍首相の側近で唯一、学位をもっている浜田宏一氏はこうした効果を想定していたようだが、日本の実質賃金は下がり続けて失業率は3%ときわめて低く、ゼロ金利の日本では金融政策で為替をコントロールできない。だから彼が「もうインフレ目標はいらない」とリフレ派から逃亡したのは正しい。

逆にいうと、いまだに黒田氏がインフレ目標を掲げている理由は、経済理論的には何もない。理論的にありえなくても実験によって現象が観察できる場合もあるが、彼のやった社会実験は史上最大規模のポパー的な反証であり、彼の仮説は却下するしかない。

おそらく黒田氏の自信は「円高ファイター」として外為市場に介入したときの手応えにもとづいていたと思うが、プロだけの資産市場に財政資金を直接投入する介入と、幅広い国民に資金を供給する金融政策はまったく違う。彼の本当のねらいは円安だったと思うが、それもたまたまドル高局面に一致しただけで、今は日銀がいくら緩和しても円高が止まらない。

頭脳明晰な黒田氏はもうわかっていると思うが、撤退戦は攻撃よりむずかしい。これ以上大言壮語していると、無知な政治家がますます放漫財政に走り、戦前の高橋財政のような悲劇に終わるおそれが強い。本書に書いた程度の知識は、国民の最低限度の常識だと思う。