デフレの本当の正体・黒田日銀が2%達成できない訳

デフレの正体

2010年に藻谷浩介さんが「デフレの正体」という本を出版され反響を呼びました。

この本で藻谷さんは、日本経済の問題点はデフレなのではなく、もっと構造的なものであると主張されています。それを一言で言えば、人口の減少が本格化したことによって、内需の規模の縮小が経済の頭打ち現象をもたらしているということです。デフレとはあくまでも金融面での現象ですが、今の日本経済が陥っている状況はそんな簡単なものではなく、根の深いものです。それ故小手先の金融政策によって解決が図られるようなものではなく。人口減少という事態に即した適切な対策が取られないと、この先日本経済が再び上向くことはないであろうということです。一般的に言う人口オーナスですね。

藻谷さんは当時から主流に成り始めたリフレ派の批判を浴びました。今、日銀は、いわゆる「黒田バズーガ」から、マイナス金利に至るまで、このリフレ政策を続けています。

インフレ状態にあった日本

さて、私は、藻谷さんの言説に半分賛成です。同意する点は、「日本経済は1985年から2015年までの30年間、構造的な問題を抱えていた」ということです。しかし、その問題とは、人口オーナスではなく、

 日本経済はこの30年、デフレではなく、壮絶なインフレにある

ということです。以下のグラフは、パートタイマーの平均時給と里芋の物価をそれぞれ1984年を100とした時の指数の推移です。

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皆さん違和感を持たれたかもしれませんが、実はこれは両方とも当時の価格を、当時の円とドルの為替レートを使って、ドルベースで現したものです。つまり、ドルベースで見ると労働者の賃金も食料品の価格も30年で4-5倍と大きくインフレを起こしているということです。特に、1985年から88年までの僅か3年でドルベース物価が2倍になっています。ではこの期間に何があったのでしょうか。

それは1985年9月22日、G5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)により発表された、為替レート安定化に関する合意、「プラザ合意」です。発表の翌日の24時間で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落しましたた。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台、さらにその後円高が進行し、民主党政権のもとで70円台とほぼ3分の一になります。

今も円高は日本にとってメリットだと主張される人々がいます。確かに労働者の賃金がこの30年で4倍になったことは、歓迎すべきことです。しかし、それとともに物価も4倍になりました。

さらにもっと重要なことは、1990年代後半からの企業のリストラによって、ロスジェネ・ゆとり世代の多くは正社員になれなかったということです。パートタイマーの賃金は年収換算で100-200万円ですから、正社員の初任給に該当します。正社員は年功序列的賃金のなかで定期昇給や昇進があって、勤続10年で入社時の倍の300-400万円になるのですが、非正規社員は頭打ちです。だから、食料品などの物価が初任給水準と同水準で上がっていくということは、正社員に成り損ねた30歳の非正規社員にとっては、購買力が2分の一に落ちることになります。相対的なインフレが起きているのと同じことです。日本の勤労者に占める非正規労働者の割合が増加した分、インフレが進行することになるのです。

経済成長への貢献者が報われない矛盾

でも、これってよく考えるとおかしな話です。日本の生産性が向上したから円高になって購買力が上がった訳です。その副作用としてドルベースで賃金も上がってしまい、グローバル経済のなかで中国の労働者との単純比較の中で、「国際競争力」を維持するために、労働者の賃金が低く抑えられた訳です。でも生産性が向上したのだから、購買力は少なくとも維持されてしかるべきですね。つまり、消費者物価に着目すれば、少なくとも輸入品は値下がりして当然だし、国内産品(例えば里芋)だってドル建てて4倍になるのは理にかなっていません。ロスジェネ世代の30歳代平均の労働者が里芋の煮付けを食べられる量が半分に落ちてしまうのはどう考えてもおかしい。

その昔、海外旅行が解禁になった時に、一番最初に多く出かけた団体旅行客の属性を覚えていらっしゃいますか?農協です。つまり、昔も今も変わらぬ里芋を作り続け、国内の消費者に売っている農家の方が、ある日突然ドルベースでの収入が倍になり、海外旅行を堪能できるようになる。何か変な話です。生産性を上げたのは工場労働者であって、農家ではない。でもその結果工場労働者は罰として、賃金をカットされる。つまり、日本全体のパイが一定だとして、国際競争に晒される工場労働者から、農家への所得移転が起きた訳です。壮絶なドル建てインフレによって。

輸入品の場合はもっと単純です。よくテレビのニュースで、為替が円安になると、流通業の方の困り果てた顔が映し出され、「アベノミクスの円安で、卸価格が急上昇している。企業努力にも限度があり、もう倒産寸前だと。」でも仮に1ドル120円でも、この30年で彼らの輸入単価は半額以下になっているはずです。最近の円高局面では彼らは知らん顔です。(世界のドル建て商品市況は30年前の水準)その分はどこに消えたのでしょうか。それは全て流通業者の懐、農家の懐に落ちていったのです。

ハンバーガーを59円で売ったマクドナルドや、牛丼を290円で売った吉野屋、あるいはユニクロが、「価格破壊」「デフレ産業」と揶揄されますが、むしろドルベースで見れば彼らの方が真っ当な商売をしているのであり、他の小売り業者が値段補正を怠けているのです。

デフレの「本当の」正体

非正規労働者は国際競争の中で、自らの賃金を半分に削られたのですが、消費者物価は全く下がらず、相対的なインフレによって、購買力が極端に落ちたために、ものが売れなくなったのです。これが「デフレの本当の正体」です。デフレの正体とは、非正規労働者にとっての実質的な「インフレ」です。

何故こんなことが起きるかというと、日本の流通業は完全市場ではなく、価格硬直性があるので、仕入れ価格が安くなっても売値は下げないのです。で、差額がへそくりとして流通業者のポケットに入ったのです。これを防止するには、本当は、日本の売価はドルベースで表示するべきだったのです。そうしたら、ある日突然、国内の農産物が2倍になったことに消費者は気付いたはずです。そうすれば、非正規労働者は社員の身分を獲得し、しかし初任給はもっと低いけれど少しずつ昇給し、里芋の価格は跳ね上がることなく、低水準に留まり、ロスジェネ世代も30歳になるころにはたらふく里芋の煮付けを食べることができたのです。

まとめると、日本経済はこの30年で確実に成長しパイは拡大しました。その恩恵を受けたのは、農業や流通などの自営業者、企業に雇われている労働者としては、正社員や年金受給者です。彼らが多くのパイを食べてしまったので、ロスジェネ・ゆとり世代の分け前は極端に減っている。だから、高齢者は大いに消費し、若者は倹約に励むのです。

つまり、若者はインフレに直面しているので、金融政策で刺激しても購買力がないので消費できない。一方、既得権益者はデフレの中で、既にフルスロットルでタワーマンションなどの住宅を買い、高額なレストランで食事をし、旅行に行くという消費をしているので、金融緩和は効かないのです。だから、期待インフレをいくら煽っても全く意味がないのです。

しかし、その根本要因であったグローバル経済も終わりを迎え、極端な円高も補正されているので、ようやくこのいびつな構造も改革されていきます。むしろ人口オーナスによって若年労働者が逼迫し、時給が上がっていき格差が是正されていきます。アベノミクスによる円安によって、生産労働者の需要はさらに上がります。この円安水準で、中国や米国の賃金上昇の流れが輸入しやすくなっています。ようやくロスジェネに順風が吹いてきました。

Nick Sakai  ブログ ツイッター