何度も大きな災害に見舞われ、戦争などの過ちを繰り返したために人類の数が激減した未来。宇宙は機械に支配され、絶滅危惧種となった人類は2割となり、人工知能を持つロボットの数が8割を占めていた。静寂に包まれた宇宙で、アンドロイトの鈴木洋子・マシンナンバー722は、レトロな宇宙船に乗って星々を回り、滅びゆく人間たちに日用品などの荷物を届けている。その荷物は人間にとって、かけがえのない物だったが…。
「冷たい熱帯魚」「ヒミズ」などの園子温監督が20代の時に書きためていたオリジナル・ストーリーを映像化したSFドラマ「ひそひそ星」。人類が滅びる寸前という時代設定、昭和レトロな宇宙船のヴィジュアル、モノクローム映像、人間は30デシベル以上の音で死ぬ恐れがあるので、常にひそひそ声で話しているという、さまざまな個性的な設定は、オリジナリティにあふれていて、これが園監督自ら立ち上げたプロダクションによる自主映画であることに深く納得する。だが決して独りよがりの物語ではない。劇中に福島の地と、住民の皆さまが多く出演していることからもわかるように、現代の日本の現実“福島”を見据えて、来たるべき人類滅亡の時へ、静かな警鐘を鳴らしているのだ。
日本人女性型アンドロイドの主人公が宅配で届けるのは、モノの形を借りた記憶と時間。距離と時間に対する憧れは、人間の心臓のときめきのようなものであるという言葉が印象深い。木製の床、蛾が迷い込んだ電灯、ポタポタと水滴が落ちる蛇口。宇宙船はまるで昭和30年代の日本の台所のようにノスタルジックだが、その世界での人間は影絵のような存在だ。だがモノクロの映像の中でもとりわけ美しいのは、アンドロイドの洋子が荷物を持って長い長い廊下を進む時、そこに映る生き生きとした影絵の人間たちの生の営みなのである。これはSFの形を借りた、美しく残酷な社会派映画なのかもしれない。
この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2016年5月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。