伊勢志摩サミットが近づいて、また日本についてのステレオタイプな報道が増えてきた。特に伊勢神宮=国家神道=ナショナリズムと短絡して「極右の安倍政権」を批判する記事が多い。これを書いたのはロンドンにいるアジア担当エディターだと思われるが、例によってJapan Timesなどの2次情報に依存しているので、基本的な間違いが多い。
まずShintoは、彼の考えているような意味での宗教ではない。それには教義も教祖もなく、いつ始まったのかもわからない。もともと日本各地にあった雑多な民俗信仰を集めて、江戸時代に平田篤胤などがそういう名前をつけただけだ。伊勢神宮の創建は9世紀ごろといわれるが、そのころは「国家神道」は存在せず、したがってナショナリズムとも関係ない。
伊勢神宮は天照大神をまつっているが、これはキリスト教のような唯一神ではない。日本にはやおよろずの神がいて、天照大神もその1人にすぎない。同様の神社は他にもあり、伊勢は特別の神社ではなかった。それを参拝した天皇は、明治天皇が最初だ。
明治以降、伊勢神宮が天皇の神格化に利用された面はあるが、それは靖国神社のように戦没者の慰霊のために幕末に建てられた神社とはまったく別のものだ。したがってこのコラムの次のような結論はナンセンスである:
The problem for America in dealing with Mr Abe […] includes a revisionist view of history, in which Japan’s only important mistake in the second world war was to lose it; a rejection of the American-imposed constitution and its renunciation of war; and perhaps a revival of Shinto as a state religion.
Economistのような高級紙でさえ「安倍首相が神道を国教にしようとしている」などという荒唐無稽な論評をし、世界の指導者にこれが読まれるのだから、困ったものだ。政府は今回のサミットを機会にこういう誤解を正し、日本の多様な文化を世界に伝えるべきだ。