>>第1回「日本で最もアメリカ大統領選に近い選挙」はこちら
>>第2回「都知事選が狂った“元凶”は小沢一郎だ」はこちら
>>第3回「政見放送“生みの親”青島当選の真実」はこちら
歴代都知事は多彩なバックボーンだが…
都知事選は戦後、知事が有権者で選ぶようになってこれまで19回行われているが、8人の歴代都知事のバックボーンを振り返ると、官僚、医学者、経済学者、タレント、小説家、国際政治学者など、違うタイプが交代して就任している。近年、国政に転出した石原慎太郎の後任に、同じく作家出身で、石原を副知事として支えた猪瀬直樹が歴代最多得票で当選したケースがあるが、これは異例だった。
政治史に詳しい専門家の見解を聞きたいところだが、筆者の見立てとしては、昭和期は「官」は「民」と“別世界”で、ある種のノブレスオブリージュ的なマインドを持つ人材たちの領域であり、政治経験のないビジネス系人材が参入する発想が薄かったのではないだろうか。だから、55年代体制下の保革対立を背景にした都知事選では、自民党は手堅い行政手腕を求めていたから官僚出身者などを擁立。一方の革新勢力はリベラルな学者やジャーナリスト出身者をプッシュしていたが、これは経営感覚や実務能力よりも、官民の癒着打破といった政治改革のメッセージを打ち出すことに重きを置いていたようにみえる。昭和期においては、保守も革新もビジネス経験者を東京の経営に生かすという発想が希薄だった(首都東京ですらこうだから、地方は現在も同様で、道府県の知事は総務省などの官僚OB・OGが半数以上にのぼる)。
民間経営者を求める声の時代背景
経営者人材を要望する声が高まってきたのは、90年代以降ではないだろうか。日本を代表する経営コンサルタントである大前研一が都知事選に出馬したのは、まさに1995年だった。その背景として、55年体制の崩壊、無党派層の増加で「新しい政治」を期待する向きもあろうが、もう一つ現実的な問題としてバブル崩壊後の税収低下などで東京ですら瀕した財政危機がある。
高度成長で自治体が潤っていた時代は、美濃部都政のシルバーパスに代表される「コスト度外視の福祉政策」が許されていたが、もう日本にそんな余裕はない。政官出身者の意識が希薄になりがちなコスト感覚を持ち、大胆なリストラを進められる、いわば“カルロス・ゴーン”的な存在を時代が求めるようになったとも言える。
この間、「民間でできることは民間に」を掲げた小泉政権下、地方自治体の一部運営を民間委託、行政の効率化が進んだ。たとえば、公共施設は指定管理者制度を設けて、野球場をプロ野球団が運営して楽天の宮城球場のように活性化に成功したケースもある。
民間経営者は都知事選で苦戦
しかし、都知事選をさかのぼると、2位の候補にも経営者出身がいないのが興味深い。90年代以降の都知事選に出馬した著名な民間人経営者の戦績を見てみると、経営コンサルタントの大前研一は95年の選挙で42万票の4位。世界的建築家の黒川紀章が2007年選挙で同じく4位だったが15万票に低迷。ちなみに、この2人の得票数は、参院選東京選挙区にあてはめても当選目安の60万票に及ばず「大敗」といえる。
多少健闘したと言えるのが、2011年選挙の渡邉美樹=写真はFacebookより=。飲食大手ワタミグループの創業者としておなじみだが、101万票を集めたものの、現職の石原、宮崎県知事も歴任した東国原英夫の後塵を喫し3位だった。
加山雄三の大前研一への“ダメだし”
大前や渡邊のような著名な民間経営者が苦戦した背景は、当時の政局事情など複雑な要因が重なっているので端的に言いづらい。しかし、確かに言えることは、ともに「テレビ有名人」の候補者に知名度で劣り、大衆性に課題があったことだろう。居酒屋チェーンの渡邊ならまだ多少、庶民になじみがあるだろうが、大前は都心部のビジネスマンの間ではそれなりに知られているものの、選挙戦のカギを握る主婦やシニア層に広がっていたかというと微妙だ。そのあたりのことは大前自身も著書の中で認めている。
大前は政策には無類の自信を持つ。ところが「文藝春秋」に掲載した政策パンフを都内で配布したものの、上野や浅草では反応が鈍く、「これは銀座・丸の内で通用するパンフだったのだ」と気づく。そして選挙後、友人の加山雄三に「政策は素晴らしいが、『底辺』の人々の心に触れていない」と指摘される。その時の大前の感想。
「頭をバットで殴られたような衝撃があった。自分が、とげぬき地蔵や門前仲町に行った時、街の人々と共通の話題が非常に少なかったことを思い出した。『あんたこれどう思うの』と突っ込んだ話をしていくと会話がなかなか続くなかった」(出典;「大前研一 敗戦記」文藝春秋、1995)
このエピソードが示す通り、経営者は庶民性や大衆性に欠ける側面がある。もちろん、そうでない経営者もいて、テレビのバラエティ番組に出ている人などは好感を持たれているかもしれないが、そのあたりは今後、経営者出身の候補者が都知事の座を目指す場合の課題といえる。
都内23区の各種調査で区民の平均所得が最も高いとされる都心部の某“富裕区”と、所得が最も低いとされる郊外の某“庶民区”をサンプリング。2つの区では渡邊は3位、東国原は2位でともに都内全体の順位と変わらなかったが、東国原の得票に占める渡邊の“惜敗率”では、“富裕区”が81%だったのに対して、“庶民区”では57%だった。つまり“富裕区”の方が渡邉を支持する割合が高かったわけだ。
アメリカだと地域ごとの所得階層まで綿密に分析した選挙情勢調査を普通に行い、大統領選の報道でも「サンダースの支持者は所得が低い」などと公然と提示されるが、日本ではタブー視されてほとんど見かけない。参院選の複数人選挙区のような選挙では、有権者ターゲッティングが重要になるので、そうした調査アプローチは有効ではないだろうか。
橋下徹のマネジメント論を参考にすると
これは極めて稀有なケースであろうが、大阪での橋下の歩みを振り返れば、「プロ経営者」出身でなくても「マネジメント力」のある、民間出身の著名人も有力な選択肢になるかもしれない。
なお、橋下のマネジメント論は、「組織マネジメントの根幹は意思決定のシステムの確立」に重きを置いており、府知事就任時、それまで無かった意思決定の記録化を職員に指示するところから始まったという。
「政治主導とよく言われますが、政治家が行政の仕事を全てできるわけがありません。というよりも、政治家は行政の仕事は全くできません。政治家の役目は、一定の方向性を示し、その実現に必要な人やお金の配置をし、組織が機能する環境を整え、組織が動かなくなる障害を取り除くといった組織マネジメントをすることです。」(出典;『体制維新−大阪都』堺屋太一との共著、文藝春秋、2011)。
大阪府は職員数で東京都の4分の1に過ぎない。その規模の違いだけでも、都知事は生半可なマネジメント力では任に当たれないことが分かる。実際、筆者が得た情報では、都庁官僚がもっとも恐れる「ポスト舛添」は橋下だという。政治素人の「プロ経営者」が都知事になっても突破力がなければ職員に軽んじられるだろう。なにも橋下を勧めているわけではないが、彼のようにマネジメント力、テレビ的知名度、突破力も併せ持つ人材が最適任に感じる。しかし、人材不足の今の政界でそのような候補者を探すのは難題だ。
(敬称略、第5回に続く)