プレジデント誌の記事で、豊田章男社長が「もっといいクルマをつくろうよ」と言い続ける理由として、トヨタのレクサス販売強化をあげています。
自動車は幸い、巨大な装置産業ゆえに参入障壁が高いため、家電のようにはならないですんでいる。豊田社長は白物家電的なクルマづくりだけをやっていては将来、付加価値低下は避けられないとみている。それが「もっといいクルマをつくろうよ」という言葉の真意であり、レクサスをブランドづくりの尖兵という存在に位置づけているのだ。
私も、トヨタの車にはもっと付加価値を付けなければこの先伸び悩むという見通しには同意します。しかし、その答えが「プレミアム化」というのは、まるでユニクロが高級化・高価格路線へシフトしたことを彷彿とさせる間違えだと思うのです。
戦後トヨタ自動車は、人々の所有欲求を喚起して大衆車を中心に販売ボリュームを着実に増やし、2013年度には発の年間1000万台の販売を突破し、世界一になりました。高度成長期には日米欧の中間層の需要を喚起し、グローバル経済下では新興国の富裕層に訴求しました。
しかし、世界の新しいトレンドであるシェア経済の下では、「車を所有すること」という物的欲求だけでは車は売れなくなってきています。
ここで、私たちが高校で学んだ、マズローの欲求段階説を思い出してみましょう。
第一階層の「生理的欲求」は、生きていくための基本的・本能的な欲求(食べたい、寝たいなど)で、この欲求を充たせれば、次の階層、「安全欲求」には、危機を回避したい、安全・安心な暮らしがしたい(雨風をしのぐ家・健康など)という欲求が含まれます。本来自動車というのは、この安全欲求に含まれる物質的欲求を満たすものでした。
しかし、これからの車は、精神的欲求に訴求していかないと売れないと私は考えます。精神的欲求には、「社会的欲求」(集団に属したり、仲間が欲しくなったり)と「尊厳欲求(承認欲求)」(他者から認められたい、尊敬されたい)、さらに「自己実現欲求」(自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど)が含まれます。
高度成長期・グローバル経済期には世界は単純でした。乗用車を所有する人は2種類。マイカー所有者か、タクシー会社の経営者です。
ところが、車を購入できるほど金銭を有している層の価値観が多様化しています。もう「いつかはクラウン」ではないし、「いつかはレクサス」でもない人が増えています。
ある消費者はテスラが訴求するように、太陽光発電と電力網に繋がったエコシステムをクールとしてその自己実現の手段としての車を買い求めます。これに対応して、日産自動車は、英国で革新的な分散電力システムを英国で発売開始しています。また、別の消費者は、車の共有で隣人の役に立つ、そういった承認欲求のために購入します。
一方で、お金はあるけれど敢えて車は買わないという「積極的非所有者」も出て来るでしょう。まして、カー・シェアが一般化すればなおさらです。一方で、既得権保護のために、規制にがんじがらめなっている従来のタクシー事業者はこのトレンドの抵抗勢力となっています。
2016年5月25日に大きなニュースが発表されました。トヨタ自動車と米Uber Technologiesが、戦略的提携をするというのです。
Uberの最大の競合であるLyftは、Lyftに5億ドルを出資する米GMと連携することで、よりアグレッシブなドライバー支援策を提供している。LyftとGMが2016年3月に発表した「Express Drive Program」では、Lyftのドライバーが「乗客を週に65回以上乗せた場合」、GMの自動車を無料でレンタルできるのだ。
つまり、お金のない消費者がLyftを使って、自らのパートタイム労働と引き換えに車を無料で手に入れることができるわけです。いわば、タクシー運転手のセミプロ化です。その支援を、お金はあるけど敢えて所有しない消費者が支えるという構図です。多様な消費者のニーズをしっかり押さえて、確実に車を売るメーカーの強かさですね。トヨタも口では「プレミアムに集中」といいつつ、こうやって布石は打ってある所が日本の大企業の奥深さです。
しかし、トヨタにしても日産にしても、敢えてこうした事業を国外で仕掛けざるを得ないのが、規制でがんじがらめの日本の限界です。タクシー業界は自動車会社にとっては大事なお得意様ですから、Uberが日本に入ってこれないことを見越しての戦略提携でしょう。
しかし、こうしたIoTの活用によるシェア経済は先進国を中心に確実に広まっていきます。日本でも手厚い規制の保護を受けて、中抜きの利益を食んでいる業界は沢山ありますが、そう遠くない将来に淘汰されていく運命にあるでしょう。供給側の論理に支配されがちなサイレントマジョリティの消費者も、声を上げる必要があるでしょう。