脱北者に“聞けない質問”もある

元北朝鮮人民軍第5部隊小隊指揮官の金主日氏(写真)と会見した時もそうだった。どうしても聞かなければ、と思っていたが、やはり聞かずに終わった。それは金氏が北に残した家族についてだ。家族全員が脱北できるケースはまれだ。妻、両親、親族を故郷に残している脱北者がほとんどだ。

脱北者にとって最も辛いことは、残してきた家族関係者の状況だ。インタビューの時、名前を変え、サングラスや帽子をかぶって現れた脱北者もいた。「身元が判明すれば、北の家族が……」という懸念を払拭できないからだ。だから、脱北者とインタビューする場合、先ず写真を撮っていいか聞かなければならない。

金主日氏の場合、英紙のインタビューに応じているし、脱北者として有名な人物だったから、今更、名前や顔を隠すこともないので、写真も「いいですよ」と快諾してくれた。ただし、同氏が残してきた家族の件については、やはり質問せずに終わった。多くの脱北者と接触している同氏には秘められた情報があるだろうと考え、時間の制限もあったので同氏の家族関連については避けた。正直にいえば、当方は聞きたくなかったのだ。脱北者にとって残された家族の話はどれだけ心痛いだろうか……。脱北者が生涯、背負っていかなければならない十字架だ。その痛みに触れたくない、といった当方の勝手な思いがあった。

北の主体思想の理論家だった黄長燁元労働党書記は1997年、脱北し、2010年10月死去するまで韓国で亡命生活を送ったが、元書記は北に残した家族、親族について決して忘れることはなかったという。元書記の亡命が判明すると、金正日総書記(当時)は黄元書記の親族を一斉検挙し、強制労働収容所に収監したという情報が流れた。

金主日氏は、「自分は最初は脱北するという明確な意識はなかったが、豆満江を渡って中国から祖国を見た時はショックだった。北ではわが国は天国だと教えてきた。しかし、中国側から見た祖国は天国どころか地獄だった」と語り、「国民は騙されてきたのだ」と分かり、脱北を決意したという。

英国では北朝鮮の解放のために専心している。「北の国民に世界の状況を正しく伝えなければならない。事実が分かれば、独裁者打倒の為に蜂起する日がきっとくるはずだ」と信じている。同氏は会見では「北国民への“啓蒙”」と表現していた。金氏の使命感が伝わってきた。

ちなみに、“聞けない質問”は脱北者にだけあるわけではない。北では指導層は一般の国民に比べ多くの権限と特権を享受しているが、彼らにも聞いてはならない質問があるのだ。
ウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)には北朝鮮出身の査察官がいた。同査察官とは結構、自由に話せる関係を築いたが、その彼が当方に言った言葉を今でも忘れられない。
「君は核関連問題で僕に質問してもいいが、金ファミリーについてはお願いだから僕に聞かないでくれ」とつぶやいた。同査察官は北人民軍高官に近いエリート出身だが、独裁者金ファミリーについては語ること、聞くことも許されていないというのだ。

最後に、黄長燁元労働党書記の遺作詩の一部を紹介する(ウィキぺディアから)。

むなしい歳月との別れは、惜しくはないけれど、
明るい未来を見ようとする弱さを慰める術はなく。
愛する人々を、どうすればいいのか。
背負って歩いて来た荷を、誰に任せて行くのか。
慣れ親しんだ山河と引き裂かれた民族は、またどのようにして。
時は過ぎ去り、残されたのは最期の瞬間だけ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年6月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。