「仕事のできない」民進党には、やはり任せられない

舛添知事批判のキモは「都民のために働いていない」ことにある。働いていれば、政治資金の使い方に多少のお手盛り、公私混同があっても有権者は気にしない。

前回のブログでそう書き、石原慎太郎・元都知事だって、危なっかしい点が見られた。都への出勤だって、しばしばサボっておりその点、舛添氏と甲乙つけがたい。

そう書いたら、「あの石原氏の姿勢は今も許せない」という女性が相当いるという。「そうだろう」とは思うが、では、石原氏を都知事の座から引きずり下ろしたか、となると、今回の舛添知事よりもそういた声はケタ違いに低いと思われる。前回、書いたように、都知事としてそれなりに汗をかいて仕事をしていたからだ。

この人間に任せれば安心かどうか。究極的にはそれで決まる。あれほど汚職、政治資金問題で騒がれた田中角栄・元首相を今、石原氏は高く評価している。

1974年当時文芸春秋で「君、国売り給うことなかれ――金権政治の虚妄を排す――」と田中氏を強烈に批判した石原氏は、最近田中氏の生涯を一人称で描いた「天才」を上梓、大ベストセラーとなった。

カネにまつわるマイナスの問題以上に、国家と国民のために仕事をして来たことを再評価したのだ。

極論すれば、汚れた政治資金問題を抱えていようが、国益のためにそれをはるかに上回る仕事をしているかどうかで、政治家の評価は決まるのだ。家族と食事した費用も政治資金で支払うといった「不適切な公私混同」。そんな「みみっちい」ことなど、本当はどうでもいいのだ。

国民が本気になるのは「こいつらに任せて大丈夫か」と不安になる時である。然り。2009年から2012年にかけて、民主党が政権をとったとき本当に「危ない!」と思った。

初代内閣安全保障室長を努めた佐々淳行氏は2011年1月に「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬舎)、同7月に「ほんとに彼らが日本を滅ぼす」(同)と、半年の間に2度も危機の書を書き下ろしで書いた。

それほど、焦燥感に駆られていたのである。私も同書を読んで全く同感だった。政治が機能しなくなり、あらぬ方向に向かうと、国家は衰亡の道をたどる、と実感した。

その民主党(現民進党)の岡田克也代表は昨日、ケネディ駐日米大使と会談し、安全保障法案の廃止を求める民進党の立場について「法が通る前に戻るだけだ。日米同盟は非常に重要と考えている」と説明したという。

これを米国がどう受け取るか。「今さら何を言っているのだ!」としか思わないだろう。米軍事予算が削減の道をたどり、もはや東アジアでは日本との集団的自衛権を強めない限り、中国や北朝鮮の攻勢に耐えられないだろう。これが日米の安全保障当局の共通認識である。

岡田代表はそれをまったくわかっていない(風情である)。「集団的自衛権は違憲の疑いが極めて濃い」とケネディ氏に伝えたという。そんな論法が米国に通用すると本気で思っているのだろうか。

同じ日の新聞に中国海軍の艦船が尖閣諸島周辺の接続水域を初めて航行し、日中間の緊張が高まっていると伝えている。イザという時に日本は備えねばならない。今、その危機の只中にある。

こうした現状を民進党と岡田代表はどう考え、どう対処しようとしているのか。仕事ができない――。民主党政権時代の悪夢は消えていない。やはり彼らに任せたら「日本を滅ぼす」としか思えない。

「リーマンショック級の経済危機が来なければ必ず消費税を10%に上げる」と約束していたのに消費増税の再延期を決めた安倍首相の政策を、私を含む多くの有権者が危ういと感じている。財政再建をどうするのか? 税収増が期待できるのか? 社会保障政策は大丈夫か?

多くの不安が頭をよぎり、その分、7月の参院選の成果は不透明になりつつある。だが、それでも民進党に任せられるか。やはり安倍政権「一強」は続くのではないか。

危ない点を抱えているのに、ほかに交代する政権がない「一強」状況は本当は良くないと分かっているのだが。