イラン革命から数ヵ月後の1979年9月17日未明、筆者が乗った成田発のイラン航空801便はメハラバード空港に着陸した。すでに白み始めた空港の外で、出迎えにきてくれたM先輩から出た第一声は「なぜイラン航空に乗ってきたのか?」というものだった。
当時30歳だった筆者は、それまでの数少ない経験から、到着国の航空会社がもっとも優遇されるから、という理由だけで選んだのだった。もちろん、直行便がイラン航空しかない、というのも理由の一つだった。
M先輩は、金網越しに見える数機のジャンボ(ボーイング747)を指さして言った。
「イラン航空はジャンボを数機所有しているが、実際に飛んでいるのはお前が乗ってきた1機だけだ。あそこに並んでいる機材から、必要な部品を外して、飛ばすジャンボに供給しているんだ」
つまり、米国と断交しているためボーイング関連の部品等が入手困難なので、必要な部品を休止中のボーイング機から外して供給している、「安心の翼」をキャッチフレーズとしているイラン航空は決して安全ではないよ、ということだった。
あれから37年。
先週金曜日にイラン側が発表した「MOU締結」を、昨日21日にボーイング側が確認したというニュースが流れている。たとえばロイター電 ”Boeing confirms signing jetliners deal with Iran Air” (June 21, 2016 5:04pm EDT) がその一つだ。
両者は具体的な内容、たとえば対象機材、機数、引き渡しスケジュール等は明らかにしていないが、メディアはボーイング737と777などで合計100機以上、総額200数十億ドルだろう、と伝えている。
ちなみに1月にエアバスと合意したのは118機、270億ドルだった。
もちろん正式契約に至るには米国政府の承認が必要だ。今年1月に核疑惑にもとづく経済制裁は解除されたが、アメリカの国内法「イラン包括制裁法」は依然として有効である。そのため、たとえばイラン原油の取引においても、決済に米ドルが使えない、米国保険会社はイラン取引の付保を引き受けない、などの不都合が生じていることは弊ブログでも報告しているとおりだ。
ボーイングがMOU合意を「発表」したのは、米政府と何がしかの接触をした上でのことだろう。経済制裁解除後、米企業としては最大の取引だ。
はたして順調に「承認」が取れるのだろうか。これは原油取引のみならず、イラン石油ガス産業への海外投資の動向にも大きな影響をもたらすものだけに、今後の展開を注目したいところである。
19年前「ジャカルタの悲劇」で中断した筆者の「夢物語」の続きが、ようやくこれから始まるのだろうか?
編集部より:この記事は「岩瀬昇のエネルギーブログ」2016年6月22日のブログより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はこちらをご覧ください。