バングラデシュの思い出 --- 鈴木 健介

私がバングラデシュを旅したのは12年前。

インドのカルカッタから国境ベナポールへ向かい、ジョソール、クルナ、バゲルハット、ダッカなどを旅して、国境チラハティからインド側国境ハルディバリへと抜ける旅。国境を超えた最初の街ジョソールへは日没後の到着だった。

暗闇。漆黒の暗闇。ここまでの闇夜は生まれて初めてだ。日本だったら、どんな小さな町でも、街灯ぐらいは少しはあるのだが、このバス停の周りには一切の明かりがない。月明かりすらない夜で、どこへ向かっていいのか全くわからないまま、私はバスを降りた人たちに導かれ、街まで歩いた。

その暗闇の中で、バングラデシュ人の飽くなき好奇心を目の当たりにした。10〜20人ほどのバングラデシュ人と共に街まで向かったのだが、矢継ぎ早の質問攻めで、それが暗闇の不安を消し去ってくれた。街に着くと私を取り囲む人だかりは30人ほどに増えていた。その全ての人がと言っていいほど、彼らの表情は、笑顔だった。バングラデシュの旅は、どこへ行っても現地の人々に囲まれる。首都ダッカを除いては。

バゲルハットは(後年知ったが)世界遺産に登録されているモスク都市だそうだが、当時は観光地の「か」の字もないほど観光客は存在せず、モスク以外に何もかもなく、人々は穏やで親切だった。ここでも常に30人以上の人々に囲まれる。この村である青年と友人になり、彼は朝から晩まで私の世話をしてくれ、イスラムの教えについて、ずっと語っていた。ムスリムにとって旅人を親切にすることは当たり前だという。

「アッサラーム・アレイコム!」 イスラム教の挨拶の言葉だ。この言葉を投げかけると、彼は満面の笑顔で挨拶を返してくる。「ワライコム・アッサラーム!」 意味はなんだろうと尋ねてみた。「あなたに神の祝福を、という意味ですよ」と、彼は答えてくれた。「返す言葉は、あなたにも神の祝福を、という意味ですよ」

確か、そう言ってた気がする。本当の意味はどうだか、知らない。彼がそう教えてくれたのなら、そういう意味でいいと思う。あの満面の笑顔は、異国人で異教徒の私がその言葉を知っていることを、嬉しく思ってくれてるからなのか? いや、そんなことよりも大事なのは、この言葉は魔法のように、挨拶した人間同士の関係を一気に近づけさせる。まるで、1000年も前から兄弟だったかのように。

挨拶の力は、これほどか!
言葉の力は、これほどか!

彼のあの目の輝きは、今をもって全く忘れることができない。

ヒンドゥー教のインドを旅した後にバングラデシュに入国すると、人々の雰囲気が劇的に変わったことに気づく。

1番に思ったのは、人々の表情がみな明るいこと。これはインドからパキスタンに入国した時には感じなかったので、イスラム教というよりはバングラデシュ人の国民性だろう。2番目はインドに比べれば貧富の差がほとんどないこと。インドは金持ちと貧乏人がモザイクのように存在し、貧しい人の中には陽気な人、荒んだ人、今にも死にそうな人と、多種多様にいたのだが、バングラデシュ人はみながみな等しく貧しく、だからと言って悲愴的な感じはまるでなく、人々の表情は明るさそのものだった。首都ダッカを除いては。

バングラデシュの旅は、ハード面で言えば全く快適でない。当時、世界でも最貧国のうちの1つと言われ、建物は古びているのか手抜き工事なのかサイクロンの影響なのかわからないが、どれもこれもボロボロに見え、宿は不衛生で、食事も貧相。ロケットスチーマーという名の蒸気船は、私が乗った時はディーゼルに変わっていたが、今にも沈みそうなオンボロ船に溢れんばかりの人だかりで、実際に何度か転覆している。この国の衣食住はどれもが貧しい。物価は宿は高く1日500円以上、衣食は普通で1食50円、リキシャ(人力車のタクシー)がなぜか異常に安く1回10円、ある時は30分以上もリキシャに乗って30円しなかった。リキシャの数は半端なく、失業者の全てがリキシャの運転手ではないか? と思うほどに、街にリキシャが溢れていた。

そのロケットスチーマーに乗って、首都ダッカへ向かった。昔、タイは首都バンコクと地方の経済格差がありすぎて、バンコクだけはタイの中で別の国、とまで言われていたが、2004年当時バングラデシュの首都ダッカは昔のタイのように、ダッカだけは別の国のように感じられた。ここにはすでに格差があり、それが加速度的に広がっていくのが感じられた。常に労働に追われる人々からは疲れた表情が見え、経済的な恩恵を受けているようにはまるで見えなかった。ダッカでは何一つ、よい思い出がない。

あれから12年。

ダッカでテロがあった。

イスラム教の中でもごく一部の人間の蛮行だということはわかっている。この蛮行は当然非難されるべきだし、犠牲者には哀悼の意を捧げたい。

いつも同じことを言ってるが、ほとんどのムスリム達は、親切で、敬虔で、平和的である。12年間、私は旅の思い出を思い起こすことはあっても、バングラデシュで今、何が起きているのか? を考えようともしなかった。

チャイナ・リスクを避け、私たちの身の回りにある物は、「メイド イン バングラデシュ」が本当に増えてきたと思う。それがどのくらい今回のテロに関係があるのか? 関係はないのか? もう一度、バングラデシュのことを考え始めたい。

鈴木 健介

旅と音楽と哲学が人生の3本柱
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旅での思索を書いた日記、「けんすけのこばなし」より