【GEPR】英EU離脱、エネルギー政策への影響は?(上)

GEPR

2016年7月15日の記事の再掲です。

有馬純

東京大学公共政策大学院教授

前JETRO(日本貿易振興機構)ロンドン事務所長

元経産省大臣官房審議官(地球環境問題担当)

 

国際環境経済研究所(IEEI)

衝撃的な離脱派の勝利

6月24日、英国のEU残留の是非を問う国民投票において、事前の予想を覆す「離脱」との結果が出た。これが英国自身のみならず、EU、世界に大きな衝撃を与えていることは連日の報道に見られる通りである。

2011年4月から2015年8月まで英国に駐在した筆者にとっても衝撃であった。筆者の駐在中、2016年の国民投票というレールは既に敷かれており、英国内でも活発な議論があったが、日ごろコンタクトしていた学者、研究者、ビジネスマンなどはおおむね「いろいろ議論はあるけれど、変化を嫌い、バランス感覚を好む英国民は最終的には残留を選ぶ。むしろ国民投票によってずっとくすぶり続けてきたEU離脱論に決着をつけるのは良いこと」というコメントが多かった。これに対して世論調査では残留派と離脱派が拮抗し、離脱派がリードする局面も多々あり、その乖離に驚いた。国際都市ロンドンのエリートと話をしていただけでは英国を理解できないということだ。

同じような経験はスコットランド独立投票にも当てはまる。一時はスコットランド独立派が世論調査で残留派を上回り、国中大騒ぎとなった。結果は僅差で残留となったが、その結果、浮かび上がった教訓は「人は必ずしも理性や経済論理に従って投票するわけではない。スコットランドの英国からの独立は経済的には間違いなくマイナスだが、離脱するとこういうマイナスがあるというネガティブ面からのキャンペーンは、スコットランド独立というパッションを前面に出したキャンペーンに比べて訴求力が弱い」ということであった。

今回のEU残留・離脱論についても「EUから離脱するとこんなマイナスがある」という冷静な議論よりも「移民は国民の税金を食いつぶしている」「ブラッセルはバナナの曲がり具合まで規制している」といった事実に反するキャンペーンや「英国人の手に英国を取り戻す」といった「情熱的」な議論が勝ってしまったということなのだろう。

英国のEU離脱の影響は多岐にわたるが、本稿では本サイトのテーマであるエネルギー環境政策に焦点を絞って論点をあげてみたい。今回の結果は、英国の、そしてEUのエネルギー環境政策にどのような影響を及ぼすであろうか。既に国際環境経済研究所の山本隆三所長が原子力、自給率に着目して異なるアングルからの論考(「英国のEU離脱が変える原子力政策」を発表している。あわせてご一読願いたい。

新たな炭素予算の発表

国民投票翌週の6月30日、アンバー・ラッドエネルギー気候変動大臣は2008年に策定された気候変動法に基づいて設置された独立機関である気候変動委員会の提言を受け入れ、英国の2030年の温室効果ガス削減目標を57%と発表した。新聞報道では「これにより、国民投票によって温暖化目標が犠牲になるとの懸念を緩和した」と報じられている。(ガーディアン記事)

もともと今回の国民投票を通じての最大の焦点は移民問題であり、エネルギー環境政策は終始、争点の枠外であった。離脱派の中にはナイジェル・ファラージ英国独立党(UKIP)代表やナイジェル・ローソン元財務相のような気候変動懐疑派がいるのは事実だが、2008年気候変動法は保守党、労働党、自民党の幅広い支持で成立しており、EU離脱になったとしても気候変動法が廃止になるような事態は想定しがたい。

皮肉なことではあるが、Brexitによって英国経済にマイナスの影響が出れば、その分排出量は減ることになり、英国民が望まない形で大幅削減が容易になるかもしれない。しかし、目標達成に向けては様々なマイナス要素も考えられる。

再生可能エネルギー政策への影響

第一に、Brexitによる景気減速が高コストの再生可能エネルギー支援策へのさらなる切り込みにつながる可能性があることだ。英国において進められている再生可能エネルギー導入策の淵源は2020年までにエネルギー消費量に占める再生可能エネルギーのシェアを15%にする(電力分野では30%)というEU再生可能エネルギー指令である。

これが野放図な間接補助金の拡大につながらないよう、財務省の管轄する課金管理フレームワーク(LCF: Levy Control Framework)の下で総額管理をされてきた。保守党・自民党連立政権の時代は、クリス・ヒューン、エド・デイビーなど、グリーン志向の強い自民党出身者がエネルギー気候変動大臣として再生可能エネルギーを推進し、経済性重視、天然ガス重視のオズボーン財務大臣と対立してきた。昨年の総選挙における保守党の選挙マニフェストでは気候変動法の支持がうたわれている一方、「陸上風力のこれ以上の拡大を止める」「電力分野における歪曲的で高コストなターゲットの設定に反対」など、再生可能エネルギー支援によるコスト増にはネガティブなポジションが明らかだった。

自民党が総選挙で壊滅的敗北を喫し、保守党単独政権に移行したことにより、こうしたコスト重視の傾向が強まった。アンバー・ラッドエネルギー気候変動大臣の下で高コストの再生可能エネルギー支援策への累次の切り込みが行われてきた(拙稿「英国における再生可能エネルギー補助金カットの動き」参照)。

英国がEUから離脱すれば、EU指令の義務から外れることになる。またBrexitによって英国経済が減速すれば、逆進性の強い高コストの政策を遂行することが政治的にますます難しくなってくる。再生可能エネルギー支援策に更なる見直しが加えられる可能性も否定できない。

不透明な投資環境の影響

第二にBrexitによって外国企業にとっての英国の投資環境の不透明性が増すことだ。仮に英国が共通市場へのアクセスを失うことになれば、英国が脱炭素化の切り札と位置付ける洋上風力や新設原子力発電所のための輸入資材調達コストが上昇することになる。移民の制限により労働コストが上昇する可能性もあり、投資のための資金調達コストが上昇することも考えられる。

ナショナル・グリッド(注・半公営の送配電企業)はBrexitがエネルギー・気候変動分野の投資環境の不透明性を増大させ、英国経済に年間5億ポンドのコスト増をもたらすとの見通しを出している。英国はエネルギーを含め、老朽化するインフラ部門のリノベーションに積極的に外国企業を呼び込む戦略をとってきた。Brexitが直ちに外国企業の移転につながることはないとしても、新規投資にとっては間違いなくマイナス要因であり、投資決定済み案件についてもより慎重にことを運ばねばならなくなる。2020年以降、深刻な電源設備不足が懸念される英国にとって決して良い材料ではない。

エネルギーミックスへの影響

第三に仮に投資環境の不明確さ等によりヒンクリーポイントをはじめとする原発新設プロジェクトに遅れが生じた場合、電力不足を補うため、2025年までに閉鎖が予定されている石炭火力発電所の一部について運転期間延長が行われる可能性も排除できない。

もともと英国で予定されている石炭火力発電所閉鎖はEU指令に基づくものであり、EUから離脱すれば、その制約がなくなるからである。特にBrexitによって英国経済が減速したり、不明確な投資環境によって製造業が海外に生産拠点を移す等の事態が現実の脅威となってくれば、国際競争力確保のため、エネルギーコストを低下させるとの理由で石炭火力を使おうという議論が生ずることは十分考えられる。

)に続く。