(米ハフィントンポスト)Why Did The Munich Killer Beg Us To See Him As German?
http://www.huffingtonpost.com/alex-shams/why-did-the-munich-killer_b_11154486.html
在外(在欧米)のイラン系の、特に若年層が、自らを「アーリア人」と捉えて優越感を持とうとし、トルコ人、アラブ人などを蔑む傾向について。イラン系アメリカ人の若い人が書いたもの。「夜中の掲示板の議論」などは日本の2ちゃんねるからツイッターに至る場を彷彿とさせる。
アラブ諸国での陰謀論の広がり(アラブ諸国だけではなく、イランとトルコでもそうだが)とか、在外イラン人が「アーリア人」で元祖の白人であるという人種思想に基づく優越意識で他の移民集団と区別し、支配集団に心理的に同一化し、社会の中で自我を保とうとする傾向などは、「常識」に属することなのだけれども、意外に研究者には理解されていないのかもしれない。むしろ理解することを拒絶する心理的・制度的障壁がある。
この文章で、イラン系の書き手は、アーリア人優越論が在外イラン人に広がっていることを前提とした上で、それはもうやめようと言っている。欧米社会に同化しようとして「イラン人はアーリア人だ、白人だ」と言う傾向を、大前提の事実として書いている。
This is a wake up call for the Iranian diaspora: enough with these pseudo-scientific racialist theories, enough with this Islamophobia disguised as critique of the Iranian government, enough with these attempts to assimilate by aiming to prove our Whiteness by all means possible.
こういった、事情をわかっている人には論証する必要もなく前提とされるような「常識」について、日本の研究者は往々にして感じ取ることができていないようだ。日本の場合、中東社会と血縁上のつながりがない人が、大学入学の際の学部・学科選択、企業・官庁での配属によって中東に関わっているという、欧米と比べると大きく異なる形で育成がなされているので、公の場では議論されないけれども常識、ということについての感度が鈍くなりがちだ。お勉強をして細かく文献を読んでいるのはいいことだが、社会と思想の大前提を理解することができないで大幅に見当はずれのことが長期間日本の学会の支配的言説になってしまう場合がしばしばある。
以下のような指摘は若い時にふらふら「遊学」していると、気づく機会が多くあると思う。イラン人の間では言い合っているが欧米人に対しては言わないことを、「アジア人」に対しては気安く言うことがある。特に若い時は。外交官とかビジネスマンになると、利害関係と社会性が出てくるから、こちらに本当のことは言わなくなる。
【Some Iranians – particularly in the Diaspora – subscribe to the “Aryan” racial theory promoted by European thinkers in the earlier 20th century. This combines with their dislike for their own government – which too often translates into rabid Islamophobia, as they are unable to distinguish between the actions of the Iranian government and Islam as a whole – to emerge into a disgusting mix of pseudo-scientific racial ideology that sees “Iranians” as “Aryan brothers.”
Adopting this weird ideology is fundamentally an attempt by Iranians in the Diaspora assimilate, to distinguish themselves from other immigrants by claiming to be as close to Europe and Whiteness as possible.
It is all-too-common in late-night chatboards frequented by young, male Iranian teenagers in Diaspora, i.e. people like David Ali Sonboly. I know this because as an Iranian-American myself, I have come face to face with these theories time after time, and tried my utmost to debunk them.】
編集部より:この記事は、池内恵氏のFacebook投稿 2016年7月27日の記事を転載させていただきました。転載を快諾された池内氏に御礼申し上げます。