渋沢栄一翁は『成功と失敗について、是非や善悪など論じなくていい。いつも誠実に努力すれば、公平無私である「天」は、必ずその人に味方し、運命が切り開けるように仕向けてくれるからです』と言われているようです。
天を味方に付けるとか敵に回すとかということでは、例えば社会正義に照らし合わせて正しい事柄を常日頃からやっているかどうか、そして毎日を私利私欲でなく世のため人のために生きているかどうか、といったことで天が守ってくれるか否かが基本決まってくるものと私は考えています。
そういう意味では己の人生態度の中に、天のサポートを得られるか天より見放されるかが存するのではないかと思っています。
私が中国古典を学ぶ過程で、染み付いてきた人生観が大きく五つあります。①「天の存在」を信じる心、②「任天」「任運」という考え方、③自得――本当の自分をつかむ、④天命を悟る、⑤「信」「義」「仁」という倫理的価値観のベース、です。拙著『君子を目指せ小人になるな』(致知出版社)に詳述しています。
此の一番目に挙げた天の存在については、認める人もいれば認めない人もいるでしょう。私は育ってきた家庭環境の影響もあって、幼い頃から天の存在を自然と信じていました。長じて中国古典に親しむようになってからは、天の存在を確信するようになりました。
此の地球上には食物連鎖という絶妙なバランスの中で、様々な生物が各々に生を育んでいます。また日が昇り朝が来て日が沈み夜が来る、というサイクルが何億年・何十億年と繰り返されています。こうした類を単なる自然現象と捉える人もいるでしょうが、私はそこに絶対者の働きがあるものと考えます。
中国古典の碩学である安岡正篤先生も御著書『易学入門』の中で、「古代人はまづ天の無限なる偉大さに感じた。やがて、その測ることもできない創造変化の作用を見た。そしてだんだんその造化の中に複雑微妙な関係(數…すう)があること、それは違ふことのできない厳しいもの(法則・命令)であり、これに率(したが)ひ、これに服してゆかねば、生きてゆけないもの(道・理)であることを知つた」と述べておられます。
天そのものの存在を認めないがため天も天命も恐れることはないという人もいますが、我々が生きている此の現実世界では想像を遥かに超える現象が実際に沢山起きています。
世に様々な現象は、複雑霊妙な因果法則で成立しているものだと私は信じています。従って、高潔な義人であったとして「いつも誠実に努力すれば」天は必ず守ってくれる、というふうには必ずしもならないのかもしれません。
しかし之だけは言えるのではないかと思うのは、誠実に一生懸命やっていますと御縁を得た人等々から色々な形でサポートを享受できる可能性も出てきて、そういう中で天の配剤が働いているが如き印象を得るといった部分はあるのかもしれません。天を味方に付けているような気になるは大いに結構で、そうして継続して善行を施して行けば良いでしょう。
世の中には運だけで偉業を遂げたという人もいるかもしれませんが、そうした人は極々稀でその殆どは多くの人間の支えを受け社会から重用されて成功に至るものです。そして彼らの足跡を訪ねてみれば、決して私利私欲のためには生きていません。世のため人のためという気持ちを常に失わずにいる人が結局天より守られて後世に偉大な業績を残しているのです。
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