日本はなぜ交渉に失敗するのか:『戦争まで』



慰安婦問題の交渉は韓国が何もしないまま日本が10億円を払う結果になり、日韓スワップ協定まで再開するという。日韓政府は断交に近い形になっており、北朝鮮のリスクを考えるとやむをえない面もあるが、いちばん困るのは韓国なのに、日本政府がなぜ一方的にここまで譲歩するのか。

本書は戦前の3つの交渉(満州事変、三国同盟、日米開戦)を素材に、日本政府がなぜ対外的な交渉で失敗したのかを一次史料で検証する。中でも多くの歴史家が破局への分水嶺だったと考えている三国同盟の内幕がおもしろい。一般には、ドイツがヨーロッパ戦線で勝つとみた陸軍が「バスに乗り遅れるな」と、いやがる海軍を押し切って同盟を結んだとみられているが、当時の内部文書によれば、経緯はそれほど単純ではない。

軍の首脳では英米と敵対するのは危険だという意見が大勢で、閑院宮参謀総長と伏見宮軍令部総長は1940年7月、二人で天皇に「同盟反対」の上奏を行ない、御前会議でも一貫して反対した。これに対して近衛首相は中国の「変態的内乱」は一撃で鎮圧できると反論し、松岡外相は「物資は世界中から売り込んでくる」と楽観論を述べた。

このように軍の首脳は慎重派だったが、トップが皇族だったことでもわかるように、参謀総長にも軍令部総長にも実質的な決定権はなかった。意思決定は外務省・陸軍省・海軍省の課長級・佐官級の協議で行なわれ、ここで各省が一致したことが御前会議に上がった。

ここでも名目的なトップと実権をもつ中間管理職と強硬派にあおられるポピュリストという「無責任の体系」がみられる。おまけに陸軍と海軍は大砲の口径からネジの巻き方まで逆で、統合参謀本部は戦争末期までできなかった。海軍は戦力の差を知っていたが、将校は日米戦になれば海軍の予算が増えると考えて陸軍に賛成した。

「白人の植民地支配からアジアを解放する」などという話は、戦争が始まってから出てきた建て前で、三国同盟には「戦後」にはイギリスやオランダなどの植民地を日本が取るという秘密条項があった。課長級協議ではドイツ・イタリアの勝利を前提にして、その分け前がもっぱら話し合われた。

世界情勢についての情報が「軍事機密」扱いされて乏しくなる中で、軍人は強気の見通しを出して予算を獲得しようとし、首相や外相がそれにだまされて楽観論を宣伝し、その甘い見通しにもとづいて中間管理職がアジア再分割計画を立てる――という伝言ゲームのような形で情報がゆがみ、彼らの身内の合意が御前会議に上がって決定されたのだ。

このような「下剋上」が、日本政府が交渉に失敗する原因だ。中間管理職はそれぞれの部署の部分最適化をはかるので、彼らの妥協の結果が全体最適になることはまずない。だがボトムアップで上がって来た方針に拒否権を行使するトップがいないため、それが対外的な条約になってしまう。

明治以来、同じパターンの失敗がくり返されるのは、日本人が自分の意思決定のバイアスに気づいていないからだ。今回の日韓交渉も、安倍首相の一貫した方針があったようにはみえない。外務省と財務省がバラバラに決めて、各省折衝で足並みをそろえたのではないか。これでは日本は、外交にも戦争にも負け続けるだろう。