大山鳴動、鼠一匹の改憲?

安倍首相には国民投票で敗北するリスクを取る度胸はない?

参院選の争点には敢えてしなかったものの、結果として改憲の発議に必要な両院の2/3が取れたので、自民党は何にせよ改憲の発議をせざるを得ないだろう。しかし、安倍首相に「改憲案を国民投票にかけて敗北するリスク」を取る度胸はないのではないかと見る向きが多い。

という事は、「改憲の発議に必要な2/3 条項の修正」とか「緊急事態に対応する為に最低限必要と思われる条項の追加」とか「結婚の条件とされている『両性の合意』を『当時者間の合意』と書き換えて、同性婚を可能にする修正」とか、どこからもあまり強い反対が出なさそうなところだけを変え、「なーんだ」と思わせて「改憲アレルギー」を徐々に弱める第一歩にするという作戦をとる可能性があるという事だ。

それと同時に、翻訳調の文章をまともな日本語に変えるなど、スタイルだけは一新して、「占領下に外国人の思惑によって策定された憲法」という、あまり嬉しくないが事実だから仕方がない「出自の問題」に終止符を打つ事もできる。(もし2/3を握ったのが護憲派だったのなら、これはなかなか良い作戦かもしれない。しかし、改憲派にとっては、これは自縄自縛以外の何物でもないだろう。)

しかし、安倍首相がこんな事をするとすれば、あまりに姑息であると言わざるを得ない。この程度でも護憲論者は目を怒らせて「外堀から埋めていく卑怯な陰謀だ」と攻撃するだろうし、その一方で、改憲論者は大きく失望するだろう。更に、将来のいつの日かに、本格的な改憲をしようと思っても、「この前散々議論して(実は議論しなかったのだが)改憲したばかりじゃあないか」という反論の前で立ちすくんでしまう事になりかねない。要するに良い事は何もない。

改憲案の二つの壁

改憲の議論には二つの壁がある。一つは言うまでもなく9条まわりである。現在の自民党案では、単純に第2項を削除するだけという事になっていると理解しているが、これだけでも、共産党や民進党の主流派は、例によって「そんな事をすれば平和憲法が骨抜きになる」として猛反対するだろう。それはまあ良いとしても、ここで問題となるのは、吉永小百合さんに代表されるような「安全保障の現実には疎いが、真面目で心優しい人だと広く認められている著名人達」の影響力が、ごく普通の女性達に対しては極めて強いという事だ。

一般的に言って、世の男性は「勇ましさ」や「潔さ」を好み、「名誉」や「面子」を重んじる傾向があるのに対し、世の女性にとっては、そんな事はどうでもよく、とにかく自分の子供達や近親者の身の安全を願う。そうなると、安全保障を考える時に不可欠の「最悪時の想定」には目を覆いたくなり、「戦争」という言葉が出てきただけで、本能的に警戒心と嫌悪感を持つ。国家は実は「個人(国民)を守る為の装置」なのだが、誰かが「国家」を「個人に対峙するもの」であるかのように語ると、ついそう思ってしまう。これはなかなか破れない壁だ。

もう一つの壁は、現在の草案を作った人達の「復古的な思想」が色濃く滲み出ている他の多くの条項だ。一言で言えば、この人達は「権利を主張するばかりで義務を果たそうとせず、国家の一員であるという意識に欠ける今の日本国民」を苦々しく思っており、昔からの常識だった「道徳」、更に具体的に言えば「教育勅語の精神」を憲法に明記する事によって、国民の意識を変え、物事を決めるに際しての規範としようと目論んでいると思われる。しかし、これに対する反発は彼等が考えているよりずっと強い事を、彼等は知らなければならない。

左派系の多くの人達は、当然の事ながら、これ等の条項の改正案に対しても「基本的人権が侵害される」として猛反発するだろう。しかし、それだけではない。9条まわりについては「筋論」と「現実論」の双方の観点から改正を強く望んでいる私の様な普通の「自由主義の信奉者」までが、こういった条項の改正案には強く反対しているという事実を、自民党はどの様に考えるのかという事だ。

第一の壁を崩すのは難しそうだから今回は見送るが、第二の壁程度なら何とかなるだろうと考えている人達がいるとすれば、それは甘すぎると言わざるを得ない。第二の壁は、第一の壁を作っている人達に更に多くの人達が加わるのだから、当然第一の壁より高くなる。

安倍首相への提言

私は安倍首相がまずやるべきは、現在の自民党案は「たたき台の一つ」に過ぎないと宣言し、あらためて自民党の全ての議員、および全ての野党に、「改正をする場合に備えての改正案を出してくれ」と要請する事だ。(共産党や民進党などの野党4党がボイコットするなら、それは彼等の勝手だから放っておけばよい。)

その中の一つが、「9条まわりは、まともなもの(現実的で且つ筋が通ったものであり、世界の恒久平和に対する強い希求も十分に反映された条文)に書き変えるが、基本的人権や自由主義の原則に対しては、基本的には一切変えない」案である事を、私自身は強く希望している。これなら、少なくとも私自身は強く支持して、国民投票になれば躊躇なく賛成票を投じるが、もし自民党の現在の案がそのまま国民投票にかけられるなら、私は逆に躊躇なく反対票を投じざるを得ないからだ。

残念ながら、中国や北朝鮮の国内事情を見る限り、私は何かの拍子に紛争が予期せぬ形で拡大し、日本が偶発戦争に巻き込まれる可能性はなきにしもあらずと懸念している。その場合、その存立基盤が憲法上曖昧な為に、前線の自衛隊員は出足を縛られた形で戦闘行為に入らなければならなくなるかもしれない。そうなると、現行憲法上は日本に「交戦権」はないので、自衛隊員の戦闘行為は国際法上の「戦争行為」とはみなされず、種々の不当な扱いを甘受せねばならなくなるかもしれない。そんな馬鹿な事はあってはならないと私は思う。

しかし、もしそんな不幸な事態が現実に生じたらどうなるだろうか? 多くの日本人は突如として人が変わった様に激昂して、どさくさ紛れに極端に国家主義的な憲法改正案がすんなり通ってしまう可能性もある。だからこそ、そんな事にならない様に、憲法改正は手早く、且つ丁寧にやっておく必要があると私は思っているのだが、その見返りに基本的人権や自由主義の理念がいささかでも後退する事を許容せねばならないのなら、止むを得ず断念せざるを得ない。

安倍首相が、国の安全保障のあり方を本当に懸念するなら、具体的な改正案は数種類を用意し、そのそれぞれについて幅広く国民の意見を求めた上で、最も支持が受けやすいと思ったものを国民投票にかけるべきだ。もしどんな改正案にも自信が持てなければ、「時期尚早」と考えて、この時点での国民投票は見送り、将来に再びその機会を窺うという事でもやむを得ない。これは首相が決める事だから、彼がどの様に考えても