ベネッセは何処に行く?

岡本 裕明

教育大手のベネッセの社長がわずか3か月で交代するという珍事が起きました。元マクドナルドのカリスマ社長、原田泳幸氏が14年6月21日に同社社長に就任するもわずか数週間後の7月9日に個人情報流出事件に巻きこまれます。着任したばかりの原田氏に責任を求めるのは無理だとしても連日の報道、子供を持つ親からの不信感が台頭、その対策と業績低下で原田氏の力を発揮するチャンスはありませんでした。

その原田氏は社長就任2年で退任を発表、後を継いだのが福原賢一副社長。福原氏は野村證券で生え抜き取締役まで就任した後に2004年にベネッセに移り、6月の株主総会で社長就任の承認を受けたという経歴あります。

その福原氏の手腕も試す機会すらほとんどないまま、10月1日付で投資ファンド カーライルの安達保氏が社長に就任することになります。では福原氏は何だったのか、ということになりますが公表されている理由は原田氏の退任が突然だったから、とされています。

これは詭弁だと思います。ベネッセほどの規模で人材を抱える企業が大黒柱である社長を中継ぎがごとく中途半端な判断で決めたとは思えません。ましてや福原氏はベネッセに12年も在籍している人です。違う力がかかったとみてよいでしょう。

その可能性の一つは創業家、福武總一郎氏の声ではないかと感じています。福武氏は創業家二代目社長で現在71歳になられるかと思いますが、表向きは人事には関与していないとされますが、そんなことはまずないと考えています。創業家のボイスが経営人事に与えた問題はいくらでもあり、最近ではセコムの迷走人事が記憶に新しいところかと思います。

では、ベネッセが社長の首と取り替えたところで不振を極める業績回復の一手を打てるのか、これはなかなかしんどい作業ではないかと察しております。理由はベネッセが作り上げたビジネススタイルが過去のものになっており、新しい教育システムに刷新するには相当思い切った事業改革をするしかないのですが、組織がそれに耐えうるのか、独特の事業システムで胡坐をかいてきただけに厳しさが想定できます。

今、教育はどうなっているのでしょうか?入試や企業への就職という長いスパンの中でかつての偏差値偏重、一流校志願、有名企業就職、安定したサラリーマン生活というルートは魅力もないし、子供たちが描く道のりではないことは明白です。

必死になって大企業に就職してもブラックにリストラ、激しい社内競争に派閥人事でやらせてもらえる仕事は歯車の歯車。この一枚の歯車の歯になるために必死に勉強して、高い塾に通わせ、子供も親もストレスためながら大学に行かせるのでしょうか?カナダにワーキングホリディでやってくる日本の一流企業を辞めた若者たちの理由の根源は「こんなことで自分の人生のレールが決まってしまうのか?」という疑問であります。会社を辞める勇気があるなら立派ですが、お菓子のCM ではないですが、「辞められない、止まらない」状態になっている不幸な若手社員は相当多いはずです。

私も日本で教育の仕事の手伝いをしていることもあり、子供たちがどうなりたいのか、希望や夢は何だろう、と思いながら接してみるとあるところに行きつきます。それは「黒板のない教育」ではないかと感じています。これは先生が黒板に書いた内容をクラス30名が全員同じように吸収し受け止めるという受動的スタイルから個々の特性を引き出して30名のDNAを引き出せるカリキュラムに変えていくことだろうと思います。

これはAIを取り入れて個々人の特性を引き出せる仕組みに変えていくことです。右脳の子、左脳の子、スポーツもボールものが得意な子と継続型(水泳、マラソン、自転車)、あるいは格闘型など様々な分野に分かれますが学校指導は一つにくくり、特性適応のある子供だけが良い成績を上げるという形になっています。これが最終的にジェネラリスト育成につながっていくのですが、20年後の日本に必要なのはスペシャリストのはずです。

ならば子供の特性をAIで判断し、能力開発のプログラムを再構築するのが補習的役割を果たすベネッセなどの教育システムであり、塾なのではないでしょうか?

ここまで変えるのはベネッセのみならず日本の教育システムを解体的改革しないとできません。一方、教育は変えなければ変えないで目先変化は現れてきません。だから10年、20年たって「あの時やっていればよかった」と思うことになるのです。

少なくとも私は自身の着眼で日本の教育のビジネスのお手伝いをしてみたいと思っています。

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 9月12日付より