わが国の憲法論議は、戦後まもなくからその形態が変わらず硬直化している。憲法論議といえば「改憲か護憲か」で攻防すること、あるいは専門家ばりに条文解釈を論じることというのが一般的な理解だ。それでは「この国にいかなる憲法があるべきか」という本質的な問いが置き去りにされ、それを論じることのロマンが共有されず国民的な議論になりえない。
明治前期の日本では、20代の若者たちを中心にゼロからオリジナルの憲法草案(「私擬憲法」)を書こうという全国的なムーブメントがあった。都心から遥か遠い地方の町や山奥の集落でも、志ある者が学習会を開き、読書と議論を重ねて独自の憲法草案を作っていた。その代表例である「五日市憲法」は、近年天皇皇后両陛下が資料館へ足を運ばれたことでも知られる。
わが国では今から130年以上も前に、自主憲法を作ろうという試みが在野の若者らによりなされていた。この史実は現代の凝り固まった憲法論議に新たな視点を与える要素のはずだが、全くと言ってよいほど知られていないのが悔やまれる。
彼らの功績を当世に甦らせるべく、私はもう一つの代表的な憲法草案、植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」を現代語訳し自身のブログで公開している。自らの智のみを頼りに国家の指針を書くという壮大な挑戦からは、何物にもとらわれず時代を切り開こうとする大志が感じられる。
憲法改正が現実の政治課題となる今、改憲か護憲かという旧時代的な論議の仕方からは脱却すべきだ。明治の国士の志を思い起こし、国民有志が今の日本国にいかなる憲法がふさわしいか考え、案を書く。現代には創造的な憲法の論じ方が必要だ。
山本泰弘 公共政策研究者