先日、南米コロンビアで50年続く、政府と反政府左翼ゲリラ組織・コロンビア革命軍との戦いが、この度多くの国際社会の支持を得て、和平合意の調印が行われた。しかし、この和平合意は後のコロンビアの国民投票によって反対多数で否決されてしまったのだ。
まず、この結果については、現在のコロンビア国民の民意として、尊重されるべきであろう。
これは少し前に大きな物議を醸し、今、出口戦略に迷走している英国のEU離脱の国民投票の状況と酷似する箇所が幾つかある。また、今回の2つの国民投票の共通点には、以下の事が挙げられるだろう。
1つめに、事前の直前調査と異なる民意が形成されたこと。
2つめに、国際社会の常識と異なる民意が形成されたこと。
3つめに、自国政府の意思と異なる民意が形成されたこと。
キーワードは、「異なる民意の形成」だ。
まず、一般的に民意を定義するならば、「多数派」ということになるであろう。現在、世界のあらゆる場面で、多数決が採用される理由は、少数派より相対的に良いのではないかとの判断と、多数が排除されることがないという意味での公平性であろう。しかし、皆さんの多くは幾度かの多数決に参加した経験があるかと思いますが、果たしてそこに本当の集団の民意や公平性が存在していたと言えるでしょうか? 自分が少数派に属さないよう、多数決での最終決定を予測し、多数派に属するために、札入れされたことはなかったでしょうか?
この今回の2つの多数決の結果で重大なことは、現在の国際社会の秩序や趨勢を汲みし、世界の多くが予想した多数派が、結果として少数派となったことだ。これについては、2つの可能性が考えられる。1つめは、現在の国際社会秩序や枠組みがもはや合わなくなっているということ。2つめは、提起した議題が間違っていたということだ。
1つめについては、既に国際社会の定義が「欧米国中心」から、人口大国や高度成長を続ける新興国、また、生活習慣様式が大きく異なる信仰なども大きな存在となっていることは間違いないだろう。これまで世界の多くで是とされてきた常識というものに対し、異論・反論に転換した人が増加したのか、はたまた、それらが顕在化してきただけなのか。
2つめは、多数決の議題とさらにその手法についてである。現在の多数決の結果とは、事前におおよそ予測が可能であり、大幅に予想が覆ることはあまりない。しかし、本来は蓋を空けて見なければわからないというのが自然なものではないだろうか。今回のこの2つの国民投票を見て、主権者である国民にとって判断が非常に困難であったと思われるのが、「広い範囲でのワンイシュー」に対する「YES or NO」の2択だ。とにかくテーマが広すぎるのだ。国民投票が現在の間接民主制において、優れた補完制度であることは疑いがない。
しかし、今回の状況を見る限りでは、「離脱か残留か」「和平合意か否か」ではなく、もっと仔細が示された意見の比較を議題提起し、採決を行うべきではなかったか。
多数決には、二者択一以外にも幾つかの選択方式があるのだ。法的に許されるか否かは別に置くとする。例えば、昨年大阪で行われた住民投票では、大阪都構想について是か非かが問われ否決された訳だが、これが府市合併の具体的方法や条件について、全反対も含めた幾つかの選択肢を用意し、その選択肢に優劣順位をつける投票が行われたならばどうだっただろうか? この投票の数か月後に行われた大阪市長選挙での維新候補の圧勝についてと合わせ推論するならば、大阪市民はこの住民投票がよくわかっていなかったかもしれないとも考えられる。
我が国の国政においても、野党が憲法改正の是非についてワンイシューでの議論を延々仕掛けているが、本来、何の憲法を改正するのかという部分が要点であり、広義の憲法改正論のみ講じられても、何が言いたいのかさっぱり意味がわからず、賛否が表明しにくいのだ。実際に野党の主張の多くにも、憲法改正の必要性が問われるものも多数あるのだ。
もはや、国際社会だけではなく、どの国においても、広い範囲で民意の形成を図ることは困難であり、それを求めることは適切ではないのかもしれない。我が国でもそう遠くない時間に実施されると予想される国民投票においては、是非とも主権者を迷わせない、わかりやすい議題提起であってほしいものだ。
しかし、今回のコロンビアの報道で一番驚いたことは、このコロンビアゲリラ兵士の45%が女性だということだ。映画さながらのこの事実は、国際社会のフェミニストからすれば瞬時に沸騰するような話題であろう。しかし、この女性を取材した某メディアによると、この女性は「世界の半分は女性なので、ゲリラ内に半分女性がいてもおかしくない」と語ったという。もはやこれまでの国際秩序などは、過去のモノなのかもしれない。
本元 勝
東京商業支援機構 代表取締役