彼はUNIDOではモントリオール・プロジェクト(MP)を担当し、環境保全を推進し、加盟国にアドバイスし、汚染問題があれば、その改善策を提示していた。当方が彼と接触するきかっけとなったのは、北朝鮮のMPだった。彼は平壌を何度も訪問し、そこで環境保全、化学関連施設の安全性などについて北の専門家を教育していた。時には、北の化学工場を訪問し、その環境問題などについて助言してきた。
当方はこのコラム欄で残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POPs)について報告したが、残留性有機汚染物質は、毒性が強く、分解が困難で長期間、人体や環境に悪影響を与える化学物質だ。例えば、ダイオキシン類やDDTだ。DDTは有機塩素系の農薬でPOPsの規制対象物質だ。日本では1971年に使用が禁止されたが、同条約に加盟している北朝鮮はDDTをまだ使用している。そこでヤンから北の環境問題についていろいろ教えてもらった。
彼曰く、「残留性有機汚染物質の怖さは、悪影響が一国だけに留まらず、地球全土に拡大することだ。平壌がDDTの使用を中止しなければ、土壌が汚染し、その影響は時間の経過と共に他国にも拡大する。簡単にいえば、北朝鮮の汚染物質は偏西風やグラスホッパー現象などを通じて日本や中国にも影響を与える」というのだ。
北には国内に少なくとも5カ所、化学兵器を製造する施設がある。中国が恐れているのは両国国境近くにある北の化学工場だ。2008年11月と09年2月の2度、中国の国境都市、丹東市でサリン(神経ガス)が検出されたという。中国側の調査の結果、中朝国境近くにある北の新義州化学繊維複合体(工場)から放出された可能性が高いというのだ。北の化学兵器管理が不十分だったり、事故が発生した場合、中国の国境都市が先ず大きな被害を受ける(「中朝国境都市にサリンの雨が降る」2013年5月31日参考)。
当方は北朝鮮がUNIDOから不法な化学兵器製造用の原料を入手していたという情報を記事としたが、その情報源はヤンだ。
「北は4塩化炭素(CTC)がモントリオール議定書締結国の規制物質となっているため、その代替農薬生産のためUNIDOに支援を要請。それを受け、UNIDOは07年4月、CTCに代わる別の3種の殺虫剤を小規模生産できる関連機材購入のため入札を実施した。そして受注したエジプトの化学製造会社『Star Speciality Chemicals』が08年8月、有機リンとオキサゾール誘導体を製造できるリアクトルを北に輸出した。有機リンはサリン、タブン、ソマン、VX神経ガスと同一の化学グループに属する。北が入手した化学用反応器はカズサホス(Cadusafos)12トン、土壌殺菌剤ハイメキサゾール(Hymexazol)20トン、クロルピリホスメチル(Chlorpyrifos Methyl)16トンを年間製造できる能力を有する」という。
北はUNIDOのモントリオール・プロジェクト(開始2003年、完了08年)を通じて化学兵器製造に転用できる機材を入手したのだ。国連側は、国連の専門機関が対北安保理決議(1718)を破ったことが判明すれば、国連全体のイメージ悪化に繋がるとして、もみ消しに腐心した。国連関係者は「UNIDOが提供した機材は対北安保理制裁リストには入っていない」という理由で、UNIDOの制裁違反を否定したが、ヤンは、「詭弁に過ぎない。化学者ならば、UNIDOが提供した機材で北が神経ガスを製造できることは明確だ」と指摘、国連関係者が責任を回避していると主張していた。
北の化学工場を何度も視察し、北側に助言してきた彼は北の化学工場内の設備を撮影した写真を当方に提供してくれた。2005年に撮影された写真を一目見れば、北の化学工場が如何に非近代的であるかも理解できる。
ヤンは北の視察に出かける時は多くの化学関連教材を購入して平壌の化学者にプレゼントしていた。「彼らは西側の先端情報、知識に飢えているからだ」と述べていた。
今回、彼に感謝する一方、彼の名誉のためにその名前を紹介した。当方はヤンから多くのことを学んだ。彼はUNIDOの件では化学者として知っている事実をメディアに伝えたかったのだろう。当方はそのヤンの真剣さを十分理解していなかったのかもしれない。申し訳なく思っている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年10月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。