現代日本の過労自殺論 電通悪者論ですませず「1億総安心労働社会」を目指せ

常見 陽平

邦楽の曲には「自殺」を歌ったものがそれなりに存在する。「都会には自殺する若者が増えている」と井上陽水が「傘がない」で歌ったのは1972年だった。ただ、この歌詞の主人公「ぼく」にとっての問題は「傘がない」ことであり、「君に会いに行く」ことが大事なことであるのがまた衝撃的なのだが。とはいえ、冒頭から「自殺」という言葉が登場し、一気に気分が落ちる。私がこの曲を聴いたのは、発表から約20年が経過した90年代の前半だった。歌い出しの重苦しさ、そのドス黒さは色あせない。ますます時代とも合っているようにすら思える。厚生労働省が『平成28年版過労死等防止対策白書』を発表したこと、そして電通の新入社員の自殺が話題となっている。前者については、まだ本編を完読していない。とはいえ、概要を読んだだけで胸が痛くなる。ちょうど、長時間労働と、働き方改革の罠に関する書籍を執筆中で、紹介されているデータの中にはこの夏、何度も目にしたものがあったのだが。我が国の軋む職場の現在がそこにはある。思えば、私が労働問題に関心を持ったのは10代の頃に見たNHKで放送された「過労死」に関するドキュメンタリーだった。「働き方改革」が叫ばれる今日このごろだが、まず、日本の職場で過労で人が死に続けているという事実を直視したい。今回発表された白書も、電通新人過労自殺も、このことを物語っている。この問題は自分ごととして捉えなくてはならない。特に後者については、大手広告代理店の電通という業界・企業の特殊性が語られがちだ。大手、人気企業への羨望や嫉妬など感情論も渦巻くことだろう。かつての「不夜城」のイメージや、クライアント、メディアとの利害関係の調整、社内外のメンバーで創るチーム内での摩擦など、構造的にストレスを感じる職場であることなどが、ネット上でも書き綴られている。先日の不正請求問題と重ねた報道も見受けられる。

しかし、電通の責任を追及する「だけ」で良いのだろうか。別に同社を擁護するつもりはないが、電通や大手広告代理店の体質を追及するだけでは亡くなった方は浮かばれない。過労自殺が起こった企業においては、具体的な今後の対策が求められるし、何より遺族に対してどう謝罪し、償うのかが問われる。我々が、さらに取り組まなければならないのは、過労死や過労自殺が生まれない社会と会社をいかにつくるのかという議論である。

私は今回の事件は、電通や大手広告代理店の「特殊性」に答を求めてはいけないと考えている。これは、大手、中堅・中小を問わず、日本企業が抱える「特殊性」である。誰もが成果や出世の競争をさせられ、職務の範囲も明確ではない。労使関係の利害関係を調整する機能が十分ではない。これが日本の問題である。この手の問題は精神論で語られがちだ。なぜ、このような精神になってしまうのかを問わなくてはならない。人間の精神活動は経済、社会の基盤と密接に結びついているからである。

国をあげての「働き方改革」が話題となる今日このごろであり、長時間労働の是正、格差の是正などが問題として取り上げられている。しかし、これらは所詮「働かせ方改革」であることを我々は自覚しなくてはならない。仕事の絶対量や任せ方にメスを入れない改革はナンセンスだ。「いかに働かないか」という視点を、今こそ持つべきではないか。「1億総活躍」というあたかも霞が関ポエムのようなコンセプトを超えて(郊外のマンションに”天地創造”というコピーがつくのと何ら変わりはない)、「1億総安心労働社会」をつくるべく、議論を深めるべきだ。

話は少し戻るが、この件は責任を追及するだけでなく、まずは亡くなった方と遺族のことを想うこと、この教訓を次世代の労働社会に活かすという視点が大切だ。また、これで「私はもっと残業している」とか「そんなことはどこにでもある」という語りをするのもナンセンスだ。労働時間が何時間であれ、職場で死にたくなるという問題が起こることを直視しなくてはならない。「東大卒」「女性」ということも大衆の関心事なのだろうが、職場に起因することで人が亡くなってしまったという事実をまず直視するべきだ。あたかも、因果関係があるかのように「不正請求問題」と絡めて書く報道も、過労自殺問題の追及をサボった視点だと言わざるを得ない。その文字数をなぜ真因究明のために使わないのか。

最後に、電通、大手広告代理店という事実に世間の関心が集まったわけだが。何度も言うように、これらの企業、業界の「特殊性」「だけ」の話にしてはいけない。一方、世間がいまだにこれらの企業、業界に関心を持っているのもまた事実である。数年後、これらの企業、業界が日本一働きやすいものになっているかどうかが問われると私は考えている。オセロのように黒から白に変わった企業、変わろうとしている企業は存在する。

「電通鬼十則」というものがある。私も新人の頃、教育担当に渡された。これをまんま真似して、自社の言葉にしている企業もある。こんな内容だ。

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

この精神が、同社の社畜魂に火をつけているという見方もあるだろう。しかし、私はこの精神の一部は職場改革に活きると考えている。電通マンよ、長時間労働体質の是正という「大きな仕事」に取り組め。この「難しい仕事」を狙え。摩擦を恐れずに、だ。この言葉に鼓舞されつつ、会社員というレールから降りてしまった私からの檄文である。

追伸

ご参考までに、最近のこのテーマに関する論考も時間があれば、お読み頂きたい。

「働き方改革」に見える「ゆとり教育」と同じ轍 そもそも少子高齢化は克服すべき問題なのか | 「若き老害」常見陽平が行く サラリーマン今さら解体新書 – 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/138667

1.7万字全文掲載『俺たちの働き方改革ナイト』働かせ方改革の虚像を剥ぐ – 陽平ドットコム~試みの水平線~
http://www.yo-hey.com/archives/55552528.html

日本人を追い込む「使い潰し経営」にモノ申す 労働者は権利を意識して互いに手をつなげ | 「若き老害」常見陽平が行く サラリーマン今さら解体新書 – 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/133855


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2016年10月9日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた常見氏に心より感謝申し上げます。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。