蓮舫民進党代表の二重国籍問題に端を発した「国籍論争」は、「船頭多くして、船山に登る」の観を呈しているが、本稿では蓮舫民進党代表問題ではなく、日本の国籍法の特殊性を取り上げてみたい。
冒頭の図は海外諸国の「二重国籍」への考え方を示したものだが、これを見れば判る通り、我々の予想に反して国連加盟国の過半数、中でもヨーロッパを中心とした先進民主国の大多数が二重国籍を容認している。
日本で「政治家の二重国籍はけしからん」と言う風潮が強い背景には、周囲のアジア諸国の大半が二重国籍を認めない地政学的環境の影響もあるが、何と言っても二重国籍を禁じる国籍法の存在が大きい。
遵法精神の強い日本国民は、いったん法律で決められるとそのまま受け入れて「何故?」と言う疑問を持たない特徴がある。
例えば、国籍法罰則規定の 第二十条 2 には「前項の罪は、刑法 (明治四十年《1908年》法律第四十五号)第二条 の例に従う。」と規定されているが、「立憲民主主義」や「法の支配」とは無縁の、明治憲法下の価値観で処罰されていることに異議を唱える人は少ない。
その国籍法も何回か改正されて来たが、改正経過を辿ってみると、普遍的論議にめっぽう弱い日本のお役人は海外諸国との論戦には対抗できず、国籍法の根幹をなす「父系血統主義」の廃止や二重国籍の定義変更も外圧によるものであった。
この国籍法の現状は「孤立した環境で『最適化』が著しく進行すると、エリア外との互換性を失い孤立して取り残されるだけでなく、外国から適応性と生存能力の高い種が導入されると最終的に淘汰される危険に陥る状態」(ウイキペデイア》を示す日本生まれの「ガラパゴス」と言う言葉がドンピシャである。
先にも触れた様に、日本人が「二重国籍」を受け入れない背景には日本の地政学的事情が影響している。
外国に定住して国際結婚する事が日常化している欧米諸国の人々と、外国旅行が当たり前になったとは言え旅人に過ぎない日本国民とでは、国籍に対する感情が異なるのは当然である。
然し、1997年に採択された「ヨーロッパ国籍条約」の影響もあり、世界の二重国籍容認へ向けた動きは益々拡大し、空気や水までもが世界共通資源となった現在、世界の2%以下の人口しか持たない日本が、自分本位に国籍法を定められる時代が何時まで続くのか?と言う疑問は残る。
だからと言って、国民の過半数が「二重国籍」に違和感を覚えている限り、国民の意向に逆らってまで「国籍法」を改正し二重国籍を認める必要は更々ない。
問題は、外圧に滅法弱い日本では、日本人の論議には耳を傾けず、外人の意見を矢鱈と有り難がる傾向が強い事だ。
その典型が、英語訛りの日本語を話すだけでちやほやされる“パックン”とか言うタレントのお兄さんに「日本の国籍法は遅れている」等と言わせたり、120万人以上もいる米国の弁護士だと言う理由だけで、ケント・ギルバートとか言うタレントに、日本憲法改正の必要性をお説教させる日本のメデイアである。
この傾向は国民や、メデイアに留まらず行政当局にも当てはまる。
例えば、1977年以降の国会で再三論議されてきた「父系血統主義」の違憲性について法務省は「日本の文化と伝統の特性を反映したもの」だとして一貫して否定して来たが、「婦人の差別撤廃条約」の批准を迫られた1984年になると突如前言を翻し、いとも簡単に「父系血統主義」の廃止を決める等は「外圧に弱い役人」を目の当たりにした観がある。
政府が「日本の伝統・文化」を捨てて「父系血統主義」を廃止した経過は、国籍法改正の議事録「衆議院会議録情報 第101回国会 法務委員会 第12号」に詳しい。
この討議経過でも明らかな様に「父系血統主義」は、国民の平等を規定した憲法第十四条にも 夫婦の権利平等を保障した第二十四条 にも反しないが「婦人の差別撤廃条約」第九条の「国籍の取得に関して男女差を設けてはならない」と言う規定に反するので国籍法の一部を改正せざるを得ないと言う法務省の改正理由を読むと、「条約優位論」を打ち出した重大な決定とも受け取れるが、日本のお役人にそれだけの見識を期待する事は無理で,自分の首に拘る「違憲論」を認める訳には行かないが、批准を目前にした条約の規定(九条)にも違反できないと事態に追い込まれ理由を曖昧にしたまま改正に踏み切ったのであろう。
この例でも判る通り、純国内法であるはずのの国籍法も世界の情勢変化を考慮しなければならない時代になって来た。
この事は、平成20年(2008年)6月4日の最高裁判所大法廷判決でも「我が国を取り巻く国内的,国際的な社会的環境等の変化に照らしてみると,準正を出生後における届出による日本国籍取得の要件としておくことについて,前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだすことがもはや難しくなっているというべきである。
立法目的自体に合理的な根拠は認められるものの,立法目的との間における合理的関連性は,我が国の内外における社会的環境の変化等によって失われており,今日において,国籍法3条1項の規定は,日本国籍の取得につき合理性を欠いた過剰な要件を課するものとなっているというべきである。」と述べて、国籍法も世界の価値観の変化を無視しては機能できないと延べて認めている。
「父系血統主義」は1984年に外圧に屈して廃止が決まったが、国籍の異なる両親を持つ子供に、両親のどちらか一方の国籍選択を強制する日本の「厳格な」二重国籍否認主義が、人権問題として海外から批判される時代が来る事は間違いなく、その時に備えた理論武装を急がないと、又もや外圧に屈する結果を生むことは明らかである。
他にも国籍法の抱える問題や矛盾は多い。
中でも、国際的な論議で致命傷になりかねないのが、家族主義の象徴である戸籍を個人に属する国籍証明の原簿としている事である。
又、国籍法の運用面でも「人治主義」と言う批判を招きかねないほど一貫性に欠けている事例を良く見かけるが。これ等の問題については次回以降に譲る事としたい。
注:本稿では「多重国籍」ではなく「二重国籍」で統一した。