天皇という「家」の終わり:『天皇と憲法』

島田裕巳
朝日新聞出版
★★★☆☆



天皇の退位が話題になっている。私はほとんど興味がないのだが、本書も指摘するように今の憲法の中心は天皇である。そこでは第1章「天皇」で第1条から8条までを費やして天皇の仕事を厳格に規定しているが、第2章「戦争の放棄」は1条しかない。終戦直後に大論争になったのも、第9条ではなく第1条(天皇の地位)である。

憲法では天皇は形式的な国事行為をするだけだが、逆にいうと天皇がいないと、法律の改正も、国会の召集も、選挙もできない。本書によれば、国事行為の「執務」は年間101件、拝謁や祭祀などを合計した天皇の仕事は710件にのぼる。すべて間違いが許されないので、かなりの激務である。

しかし退位の規定は皇室典範になく、皇太子には男子がいないため、「皇室の危機」が論じられるようになった。その背景には、側室や庶子を認めてきた天皇家の伝統が戦後はなくなったという事情がある。天皇家という日本の「家」の代表が時代の変化に合わなくなり、明治時代とほぼ同じ皇室典範では対応できなくなったのだ。

これを打開するために女系の天皇を認めるべきだという議論があるが、著者はそれは解決にならないという。雅子妃でさえ鬱病になるような皇室に婿入りする(それなりの人格をそなえた)男性がいるとは思えない。養子が国民の敬愛を集めることはできないので、天皇制を廃止して大統領制にすべきだという。

これは不可能だし、必要でもない。日本の「家」は親族集団ではなく機能集団であり、養子を取るのは当たり前だった。天皇家も「万世一系」などという言葉は岩倉具視のつくったもので、古代から後継者は政治的に決められた。今でも南朝正統論があるぐらいで、その血統は「純粋」なものではない。

今回の騒動は、日本の「家」社会が終わったことを象徴する出来事だろう。丸山眞男も指摘したように、日本社会のゆがみの根本的な原因は、天皇家という私的な「家」を近代国家の公的な象徴に代用した点にあった。それが行き詰まった今は、憲法を改正するより「家」をモデルにした皇室典範を見直して養子を取ればいい。