“ハンバーガー”論争に沸くバチカン

世界最小国家、バチカン市国に近接した教会所有のパラッツォ(大型建物)で米ファーストフードの大手、マクドナルド店が開店される。計画では来年初めには開店予定だ。ハンバーガーが大好きな若者や旅行者には朗報だが、老人人口が多いバチカン関係者ではどうやらそうではないようだ。

▲突然のハンバーガー論争に沸くバチカン(2011年4月、バチカンで撮影)

▲突然のハンバーガー論争に沸くバチカン(2011年4月、バチカンで撮影)

イタリア人のElio Sgreccia枢機卿はイタリア日刊紙「ラ・レプッブリカ」(15日付)とのインタビューの中で、「ファーストフードは健康に良くないことは誰でも知っている。バチカンが旅行者にそれを提供することはどうだろうか。質的にもローマの伝統的食事と比較すると、かなり落ちる」」と批判している。

一方、バチカンの不動産管理会社(Apsa)のDomenico Calcagno枢機卿は、「マグドナルドの店舗開店は何もネガティブなことはない。賃貸契約は法に基づいて締結されている」という。イタリアのメディア報道によると、マグドナルドが入るパラッツォの上階には多くの枢機卿が住んでいる。その中の一人がフランシスコ法王に苦情の書簡を送ったという。

「ラ・レプッブリカ」紙によると、538平方メートルの店舗賃貸契約でバチカンは月3万ユーロが入るという。ちなみに、マクドナルド側からはバチカン内の批判に対してコメントは一切ない。

バチカン市国近接でマグドナルド店の開店というニュースを読んで、ハンガリーで1988年6月、東欧第2号のマグドナルドが開店した時のことを思いだした。

以下は、当方が10年前に書いたコラム(「マグドナルドのハンガリー第1号店開店日の体験」2006年9月15日参考)だ。
ハンガリーで1988年6月、ユーゴスラビアのベオグラード店についで東欧第2号のマクドナルド店がオープンした時の話だ。
ハンガリー第1号店はブタペスト市のペスト地区の繁華街バーツィー通りから少し横道に入ったレギポスタ通りにあった。
マグドナルド店のオープンは数カ月前からクチコミで流れていたから、多くの市民は開店日を首を長くして待っていたほどだ。
開店数時間前には既にブタペスト市民が長い列を作っていた。当方はその列の先頭に立っていた。ここで少し弁明するが、当方はハンバーガー・ファンでも、空腹で苦しかったわけでもない。ブタプスト市民の波動を肌でキャッチするために列に加わっていたのだ。
時間が来た。戸が開いた。列が大きく揺れ動く。青年たちは素早くカウンターに殺到した。老人たちも負けない。当方も彼らについて走った。店の第1号客という名誉は得られなかったが、ハンガリーでマグドナルドのビッグ・マックを初めて食べた“最初の10人”には入ったはずだ。
当時、ビッグマック1個が43フォリント、ハンバーガー1個が25フォリントだった。ブタペスト市民の平均所得からみると、かなり高価だ。それでも、皆は不満を言わなかった。
席に座ってゆっくり食べることはできないから、多くの客はテイクアウトした。彼らの顔には一様に「何かを達成した」といった満足感があった。
「これが噂のハンバーガーか」「これが米国のファースト・フードか」といった面持ちだ。米食文化との出会いの瞬間でもあったのだ。ちなみに、ブタペストの第1号マクドナルド店は1年後、1日売上高で世界1を記録している。
米ハンバーガー店の開店が大きなニュースとなった冷戦時代の終焉直前の懐かしい思い出だ。
あれから28年後、世界に約12億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会の総本山、バチカン法王庁のバチカン市国近接で来年、マグドナルド店が開く。東欧諸国では冷戦時代、マグドナルドは米国社会のシンボルであり、その開店は民主化の前進と受け取られたものだが、バチカンの高位聖職者の間ではマグドナルドは不健康なファーストフードの代表であり、米国消費文化のシンボルとして受け取られているのかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年10月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。