古典日本型の人事制度は、人材への投資を核にしており、そこでは、人は、勤続とともに、熟練により、育っていくという楽天的思想もあったであろうが、積極的に人材の育成に力を入れることで、投資回収を急ごうともしてきたのである。
また、投資回収できていない段階で退職されても困るという事情があったが故に、長期勤続奨励という傾向を強くもっていたのだ。そして、その長期勤続奨励が年金退職金制度の普及に帰結したことは、有名な事実である。
こうした古典日本型の制度は、現在では、到底、そのままで、有効ではあり得ないが、人材への投資を核にして、人材の育成と引き止めに重点を置いていたことは、少なくとも思想的には、正しいと思われる。
もちろん、全員を引き止めてしまう旧来の制度から、企業にとっての中核人材、選抜登用された人材に焦点を当てた引き止めの制度にするなど、技術的な改革は必要なのだが、人材の引き留めという根本思想自体は、変わりようがないはずである。
成果主義的思想の普及と、人材流動化に伴って、伝統的な引き止めの仕組みである年金退職金制度が不人気になってきたのは、もちろん偶然ではない。しかし、そこの改革は、一気に制度の廃止ということになっていいはずはない。企業の成長を軸に置いた人材戦略の視点から、年金退職金制度の本来の機能を守るように、抜本的な見直しを行うべきなのだ。
また、人材への投資には、期待への処遇という要素があるので、当然に、実績が期待を下回る場合、即ち、人材の不良債権化という問題が付き纏う。この事態に、不良債権の切り捨て対応する、つまり、人材の切り捨てで対応することは、はたして、いいことなのか。
人材投資の考え方からいえば、あくまでも不良債権を債権として回収する努力を続ける、つまり人材を戦力化できるまで、昇給昇格のあり方を工夫し、人材の適性評価を工夫し、適材適所となるように人事異動を行い、教育育成に力を入れるなど、とにかく様々な積極的な働きかけを行うべきなのではないのか。
そうした経営努力こそ、ちょうど、不良債権であろうが、債権である限りは、債権を債権として回収するのが金融の王道であるように、人事の王道ではないのか。もっとも、今では、金融の王道は廃れた。銀行は、不良債権を切り捨てるのみだ。同様に、人事の王道も廃れたのか。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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