努力に無駄なし

以前ある雑誌を読んでいた時に、山梨広一著『いい努力』(ダイヤモンド社)という本の広告を目にしました。そこには「いい努力」との対比で、次の「悪い努力」が書かれていました。

①「残業=努力」と思い込んで働く、②できる限り情報を集める
③一人の仕事に没頭する、④持久力に頼って長時間労働を続ける
⑤誰からもよく思われようとする、⑥「やっていい範囲」で取り組む
⑦思考プロセスを隠す、⑧「一人の力」でできる範囲で努力する

こうして努力に良否を判定し何を分析するのか分かりませんが、私は努力というものを二分してみる程の必要性は無いと思います。

上記①~⑧が偶々一面的に悪い努力というふうに見えたとしても、それが良い努力に繋がって行くことは往々にしてあります。

また己が良しとする努力を積み上げた結果として、その全てが上手く運ばれたといったことになると、却って人間が横着になって自信過剰になるとか、あるいは傲慢になり驕慢になるとかといった可能性もあるわけです。

私が思うに、様々な矛盾を内包する複雑霊妙な此の世においては、何が良くて何が悪いかということは基本分からない位に思っていた方が良いでしょう。

要するにコンサルティングファームの人に有り勝ちな分類や抽出、ある種のこじつけの如き類が実社会には全くと言って良い程当て嵌まらないことが、如何に多いかを認識すべきだということです。

物事の発展の仕方は本当に複雑霊妙で、何がどうなっているのか分からぬものです。悪い努力と思っていたものが結果、物凄く良い方向に展開して行くことだってあるわけです。

歴史的に見ても、ある人が蓄積し続けた無駄な努力・失敗の連続が、後の世に大きな貢献をしていないとも言えないだろうとも思えます。

大事なのは努力に良い悪いと考えるのではなく、日々与えられた事柄を着実にやり抜いて行く中で、自らの生き方をきちっと見つけて行くということです。

やはり何らか自分自身で目標または理想を掲げ、その目標・理想に近づけようと努力する時に、大きなことが成し遂げられたり、真に社会に役立つことが出来るのだと思います。

「マッキンゼーで25年にわたって膨大な仕事」をされた偉大な著者には恐縮ですが、42年以上金融の世界で生きてきた私の率直な感想です。

参考
※1:2012年7月26日北尾吉孝日記『努力の重要性~人間の差を生むもの~
※2:2014年8月1日北尾吉孝日記『人生に無駄なし
※3:2016年2月12日北尾吉孝日記『目標・努力・自信・成長

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