大統領選の「インテリンチ」の空気に飲まれていた人へ

渡瀬 裕哉

トランプ大統領誕生まで繰り返された「酷すぎるインテリンチ」

2016年米国大統領選挙では、インテリによって「大衆」を「低所得・低学歴のポピュリズムに毒された人々」と定義する社会分析に見せかけた罵倒・侮辱が繰り返されました。

筆者は、この政治的な体裁を整えた人権侵害行為を「インテリンチ」と呼んでいます。(Brexitの際にも見られた同様の現象)

英国EU離脱は「インテリンチ(Intelynch)」が原因(2016年6月28日)

今回の大統領選挙期間中、有識者らはトランプ支持者を「白人ブルーカラー不満層」、場合によってはヒルビリー(彼らの薬物中毒の描写まで)として描き続けて徹底的な人格攻撃をメディア上で行い続けました。

そもそもトランプ氏は「共和党指名候補者である」ため、世論調査を見ても明らかな通り、米国の中産階級以上の人々に支持されていた人物です。そして、白人だけでなくヒスパニックからの一定の支持もありますし、女性からの根強い支持も十分に獲得しています。

トランプ支持者は「白人ブルーカラー不満層」という大嘘(2016年11月1日)

あえて、トランプ氏の熱烈な支持者として白人労働者を取り上げたとしても、それらの人々に対する人間像の描写は酷すぎるものだったと思います。全体の一部の事例を誇大宣伝するのはいかがなものでしょうか。

白人労働者が求める民主党が実施してきたアファーマティブアクション・不法移民に寛容な政策などの方針に反対し、フラットな条件での競争を行うことを求めることは検討に値する一つの意見です。

賛成するにしても反対するにしても、特定の意見を持つ集団を構成する人々の人格を貶めて、その主張の正当性を考慮に値しないものと切り捨てることは許されるべきではありません。

メディア上で「言論的弱者」をイジメ続ける嫌なヤツらのままで良いのか?

以前にも書きましたが、インテリは快適な執務室や研究室から実際の生産活動に従事している大衆を小馬鹿にしトランプ支持者を「嘘に騙された・金が無い・頭が悪い」と述べるだけで仕事になります。

元々ジャーナリズムなどに奉仕する人々は権力者と対峙することが務めだと思うのですが、現代では大学・メディア関係者らは自ら権力となって平然と大衆を侮蔑するようになりました。実に楽な時代になったものだと思います。

彼らは強大な発信力を有するメディア媒体を寡占することで、言論的な弱者である市井の人が反撃できない場所から特定カテゴリーの人々に対する人格的な批判を行っています。

そして、それらに対して政治的な正統性の体裁を整えて、「自分達と意見が異なる愚かな人々は批判しても良い」という空気を作り出しています。腕力自慢の学校のいじめっ子が言論自慢の社会のいじめっ子に変わっただけです。

近年の顕著な勘違いとして、SNSの普及によって一般の人々が自由に情報発信できるようになったから、自分と意見が違う特定のカテゴリーの市井の人々を叩いて良いという風潮すらあります。

しかし、SNSの拡散過程は影響力が強いインフルエンサーが情報を発信・媒介することで進んでいくものです。そのため、本来はインフルエンサー同士の言論の応酬で競われるべき問題であり、特定の言論を拡散している市井の人を叩いてもあまり意味がありません。

自分が「ひょっとしたらインテリかもしれない」と自覚がある人に求めたいこと

筆者が「自分がひょっとしたらインテリかもしれない」と自覚がある人に求めたいことは、データを示しながら人々に有益な情報を提供するべきだということです。

毎日一生懸命自分の持ち場で人生を送っている人たちを、彼らが反撃できないメディア上から侮蔑すること、は間違っていると気が付いてほしいのです。

今回の大統領選であればインテリな人々はトランプ支持者を「白人のゴミ」と揶揄することでちょっとだけ楽しい気持ちになれたかもしれません。しかし、そこは自制心を持ってほしいと思います。

そして、言うまでもなく、政治家らの権力者に関しては、誰でも舌鋒鋭く追及してもらいたいと思います。トランプ氏やヒラリー氏の言動などを徹底的に精査した上で、その真偽や意図について論証していくことは良いことだと思います。

また、自らが海外メディアの尻馬に乗る形で何も考えず、米国の有権者の人格を貶めてきたことを反省することも必要でしょう。

米国メディアや世論調査機関の論調に合せて誤った予測を引用し、予測が外れたら同じように外国メディアらの「世論調査の精度がおかしかった」とする弁明を丸写しする行為は言論人として恥ずかしいことだと知ってください。

あなた方が間違っていた理由は「インテリンチ」の空気に飲まれて目が曇っていたからです。

なぜ有識者は「トランプ当選」を外し続けたのか?

そろそろ「インテリンチ」への参加は程々にして、未来の姿を描く言葉を身に付けるためにもう一度大衆の中に入ってみたらどうでしょうか。

インテリの無知・傲慢による言論レベルの低さこそが問われるべき課題となっています。言論的弱者ばかりを叩いて悦に入っている状況を止めて、彼らには切磋琢磨の言論空間を築く努力をしてほしいと思います。

ワシントン・ポスト取材班
文藝春秋
2016-10-11

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