私たちはたとえば岸元首相の金脈とか外国との関係についてかなりの情報を持っており、その人脈が現代にまで影響を残しているとして注視している。ならば、蓮舫が安倍首相の対抗馬になりたければ同等の情報開示が必要だろうし、まして、17年間外国人で32年間二重国籍者であったなら必要性は格段に高い。
しかも、戦前の上海での怪しげなビジネスでのし上がって、戦後は祖母と実父は政商として活動していたのである。政商とは蓮舫の母親がそういっているのである。
「お父さんが生きていたら、蓮 (蓮舫)は政治家になっていないでしようね。『政治家にだけは絶対になるな』が、謝の遺言でしたから。謝は政治家を使って仕事をする政商で、政治の表も裏も知っていた。だから、蓮が『政治家になりたい』と言ったとき、私は腰を抜かしましたよ」(週刊文春2010年4月29日)
ならば、本人についても情報開示が必要だし、マスコミももっと情報発掘に力を入れるべきだろう。
戦前のことは現代の中国と台湾の権力者とのつながりにつながるし、戦争直後に蒋介石の台湾から共産党の大陸にいちど逃げたとか言う動きも気になるが、蓮舫が生まれる前後からの動きだって十分に怪しげだ。
とくに、昭和41(1966)年に参議院農水委員会で公明党黒柳明議員から追求された件は以下のようなことだ。
戦後、陳杏村が狙いを定めて政商ぶりを発揮したのは、日台間のバナナ貿易だった。バナナが国内のほかのフルーツを圧迫することなどを理由に輸入制限されていたが、昭和38(1963)年になって輸入自由化が発表された。自由化で業者が乱立し、輸入競争が激化した。
そこで、カルテルを結んで安定させようとして、 昭和40(1965)年に設立されたのが「日本バナナ輸入組合」だ。この組合の初代理事長には砂田産業の砂田勝次郎氏が就任したが、これは神戸市を地元とする自民党の代議士で文部大臣などを務めた砂田重民氏の兄弟だ。
この一連の動きに台湾側の窓口として暗躍したのが、台湾で日本への輸出枠の50%を握っていた陳杏村であり、その息子の謝哲信らだった。そして、これは「黒い霧・台湾バナナ事件」が参議院農林水産委員会で昭和41年11月1日 に取り上げられているので、そのなかに以下のような注目すべき言葉がある。
質問したのは公明党の黒柳明参議院議員、答弁は主として三木武夫通産大臣だ。
「かつて日本が台湾バナナ輸入を自由化した当時から、国民政府によって輸出総量の50%の割り当てを与えられて、わが国の国内バナナ輸入業者に対して絶大な支配力を持っておる、こういう人が陳杏村」
「陳杏村氏の令息に当たる人で謝哲義と謝哲信、こういう人がおります。今度はむすこさんのことですが、それぞれ砂田という日本人商社名をつけた多数のバナナ輸入会社を実質的に支配し、まかされております」
「この駐日弁事処は、日本の業者がかつて輸入バナナ一かごに何百円というリベートを持参しなければ台湾バナナを輸入しない、そういうようなことでリベートを取って、外為法違反容疑で警察から取り調べを受けた事件がある」
つまり、黒い霧として警察が調べたり国会で追及されたが立件されなかったのであるが、陳杏村がかかわる台湾側の組織が、日本の輸入業者からりべートをとったり、政治家にペーパーカンパニーをつくらせてそれを実質的に支配することで莫大な利益を上げていたと疑われたという事件だ。
そして輸入業者に本人や家族が関連している政治家としては、小泉純也、河野洋平、吉武恵市、砂田重民、大竹平八郎、蓮見進がいると名前が挙がっていた(すべてが陳杏村と関連していると言うことではない)。
謝哲信氏は、彼は同志社大学に留学し卒業したあと、母親である陳杏村のビジネスを、東京を拠点に手伝っていた。ホテルニュージャパンに住んで、毎晩、200~300万円の札束をポケットに銀座で豪遊していたと蓮舫へのインタビューで構成された「婦人画報」の記事にはある。
こうして築いた財産は、どうなったのだろうか。蓮舫は父親は台湾でいっさいの財産を残さなかった、国籍もどこか分からないと9月のYahoo!インタビューで話しているが、どういうことか。蓮舫の自宅は母親が経営する会社の名義になっているので資産公開でも出てこない。
野党の党首にして総理を狙おうとするなら国民はもう少し知って良いし、とくに、海外での部分は本人の協力がないと解明は難しい。それならそれでよいのでなく、謝家一族の現状、事業と資産について知らないで首相候補にして良いとは思えない。
また、蓮舫氏が戸籍など情報公開に応じないことと、関連があるのではないかと、疑ってみることくらいは誹謗ではあるまい。