「物価水準の財政理論」は日本を救うか

池田 信夫

トランプ大統領はマクロ経済政策の常識も破壊し、金融緩和とバラマキ財政を併用する方針らしい。これが短期的には景気刺激になることは明らかで、さっそく株高やドル高になっているが、長期的にはどうなるのだろうか。浜田宏一氏が「目からウロコが落ちた」というシムズのジャクソンホール論文をざっと読んでみた(テクニカル)。

確かに常識破りでおもしろい。この論文が解明しているのは、アメリカでも日本でもEUでも金融政策がきかないのはなぜかという謎で、シムズの答は単純明快だ。

Fiscal expansion can replace ineffective monetary policy at the zero lower bound, but fiscal expansion is not the same thing as deficit finance. It requires deficits aimed at, and conditioned on, generating inflation. The deficits must be seen as financed by future inflation, not future taxes or spending cuts.

「財政赤字は増税や歳出削減ではなく、将来のインフレでファイナンスすると予想されなければならない」という記述は一瞬、目を疑うが、これまでの経済学の常識をくつがえす発想だ。普通は財政規律がゆるむとインフレになるので危険だと考えるが、彼は意図的に政府債務をinflate awayすべきだというのだ。

この物価水準の財政理論(Fiscal Theory of the Price Level)は1990年代からある理論で、直観的にはシンプルだ:今までの金融理論では物価水準は通貨供給で決まると考えたが、通貨の代わりに金利のつく国債を考えるとどうなるか。日本の国債残高は1100兆円で、マネタリーベース400兆円の3倍近いのだから、通貨だけでインフレ率が決まるはずがない。

財政赤字を中央銀行がマネタイズすると高率のインフレになって経済が崩壊するというのが常識だが、現実には先進国の政府債務は増え、中銀は低金利を続けているのにインフレは起こらない。なぜだろうか。

その原因は金融ではなく財政だ、というのがシムズの答である。各国の政府債務が大きくなると、毎年の財政赤字を減らそうとする。ところが投資家が将来の政府債務が減ると予想すると金利が下がり、現在の資金需要が減ってデフレになる。日本の場合は、日銀が量的緩和をしても、政府が消費税を上げて財政赤字を減らそうとしているのでデフレになってしまう、と彼はいう。

インフレにするために必要なのは「日本政府は今後ずっと財政赤字を増やすのでインフレになる」と投資家が予想することだから、シムズの日本についての政策提言は、消費税の増税とインフレ目標を明示的にリンクさせることだ。たとえば「消費増税=インフレ率」という目標を立て、コアCPI上昇率が1%になったら消費税は1%ポイントしか上げない。デフレになったら消費税を減税する(!)

一見めちゃくちゃのようだが、シムズはスウェーデン銀行賞受賞者である。2013年の全米経済学会長講演は、FTPLを実証的にも検証している。ジャクソンホール講演が、イエレン議長も吹っ飛ぶ大反響を呼んだのもうなずける。FRBがシムズを基調講演に選んだということは、政策転換の前兆かも知れない。

日本のように巨大な政府債務は増税や歳出削減では正常化できないので「インフレ税」しかない、というのは本質を突いている。歴史的にも、GDPの2倍を超える政府債務を緊縮財政で正常化した国はない。これは実質債務のデフォルトだが、名目債務はデフォルトしないので、政府が中銀を支配すればコントロール可能だ、というのがシムズの理論だ。

財政赤字の中身が問題だという批判は多いが、消費税のような一律減税ならバイアスは発生しない。「財政健全化に逆行する」というのは逆で、これは実質債務を削減する財政再建策なのだ。FTPLは「合理的予想」には依存していないが、均衡理論なのでハイパーインフレのような不均衡になったらどうなるかは不明だ。私の理解が正しいかどうかわからないので、専門家の投稿を歓迎する。