自民党総裁選で1972年、田中角栄に敗北した直後、福田赳夫は「日本が福田を必要とする 時は必ず来る」と表明、76年に総裁に就任した福田はその2年後の78年、総裁選で今度は対抗候補者大平正芳に敗北、「現職総裁の敗北」という予想外の屈 辱を味わった。その時、「民の声は天の声というが、天の声にも変な声もたまにはある」と呟いたという話は有名だ。
なぜ、今、福田赳夫の話かというと、米大統領選で対抗候補者ドナルド・トランプ氏に敗北したヒラリー・クリントン氏(69)が敗北後、2週間ぶりに外出 し、慈善団体の会議で演説したという記事を読んだからだ。クリントン氏の表情からは明らかに敗北の痛みが感じられた。オーストリアの日刊紙はクリントン氏 の選挙中の顔と敗北2週間後の顔の写真を並列して掲載していたほどだ。クリントン氏は「外出したくなかった。ここに来て語るのは大変な努力がいった」と正 直にその胸の内を明らかにしている。
当方は政治信条では多分、クリントン氏寄りではなく、共和党に近いと思うが、敗北者クリントン氏に当方の心はより近いのを感じる。人生で勝利よりも多く の敗北を喫してきた当方にとって、敗北者は常に自分に近いのを感じているからだ。だから、敗北者クリントンのことを考えながら、人生の敗北の意味を考え る。
オーストリアの精神科医、心理学者、ヴィクトール・フランクル( Viktor Emil Frankl,1905~1997年)はジークムンド・フロイト(1856~1939年)、アルフレッド・アドラー(1870~1937年)に次いで“第 3ウィーン学派”と呼ばれ、ナチスの強制収容所の体験をもとに書いた著書「夜と霧」は日本を含む世界で翻訳され、世界的ベストセラーとなったが、そのフラ ンクルは独自の実存的心理分析( Existential Analysis )に基づく「ロゴセラピー」で世界的に大きな影響を与えた。彼は「誰でも人は生きる目的を求めている。心の病はそれが見つからないことから誘発されてく る」と分析し、「どの人生にも意味がある」と語り、悩める人々の心に光を与えた。勝利者の人生だけではなく、敗北者の人生にも「意味」があるというのだ (「どの人生にも『意味』がある」2015年3月27日参考)。
当方は米映画「オーロラの彼方へ」(原題 Frequency、2000年)が大好きだ。何度も観た。同映画は人生の失敗、間違いに対してやり直しができたら、どれだけ幸せか、という人間の密かな 願望を描いた映画だ。「可能ならば、人生をもう一度やり直したい」という願望だ。
敗北者は常に「あの時、こうしておけば良かった」「どうしてあのようなことをしたのか」と呟き続ける。クリントン氏もひょっとしたらそうではないだろう か。トランプ氏とのTV討論の場面が、脳裏に駆け巡っているかもしれない。敗北者は敗北を分析し、納得できる答えを見つようと心を砕くものだ。
広島カープの黒田博樹投手(41)は先月、引退を表明した。記者会見で彼は自分の野球人生に感謝している(日米通算200勝を達成)。その投手人生は勝利だけではなかった。重要な試合で負け投手となり、眠れない夜を過ごしたこともあっただろう。
クリントン氏は初代の女性米大統領になることを願ってきた。大統領となって米国を偉大な国にしたかったのか、国民の生活をより向上させたかったのか、さ まざまな動機があったはずだ。明確な点は、大統領になることが人生の目的ではない。それは本来、目的を実現させるための手段であったはずだ。手段であった 大統領ポストが目的となった場合、大統領選の敗北は人生の敗北を意味することになる。
クリントン氏は賢明な女性だ。大統領になれなかったが、自身が抱いてきた願いは決して失わないだろう。その願いを実現するため、これからも頑張ってほしい。大統領選の敗北にもやはり「意味」があるはずだからだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年11月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。