豊洲移転延期、五輪会場変更なし…真価が問われる小池都政

早川 忠孝

移転延期が決まった豊洲新市場(東京都サイトより:編集部)

豊洲移転の1年延期を最悪と見るか、止むを得ないと捉えるかで変わる小池都政の評価

法律家の議論はこういう風になってしまうのか、と思わず膝を叩くような論稿を読んだ。
極めて論理的で、なるほどこういう見方も出来るのか、と思うが、しかしストンと腹に落ちるところがない。

小池バッシングに走りたい方々にとっては実に頼りになる法律家らしい論稿なのだが、筆者には別にそういう意図や思惑はなく、ただ純粋にコンプライアンス法務分野の専門家としての見識を披露されているだけのようだが、最後まで読んでもスッキリしない。

まあ、読む人の立場によってこの論稿の受け取り方が大きく変わるのだろうが、最後まで違和感が拭えなかったのは、筆者が豊洲移転の1年延期を最悪の結果、最悪の事態と断言しているように読める部分だった。

どういう基準によって最悪と評価するのかを客観的な資料でもって説き明かしておられれば、うん、なるほど、と頷いたところだろうが、最悪だ、最悪だ、などと最初から極め付けられてしまうと、いや、必ずしもそうはい言えないじゃないだろうか、ぐらいなことは言いたくなる。

異議を述べる、などといった確定的なものではないが、ちょっとどうも、どこか変だよ、という程度の指摘である。

世間に名を轟かした、かなり説得力のある方の論稿なので、この方の議論が世間にそのまま流布しても困るな、と思うが、ブロゴスが取り上げたらその他のまとめサイトでも次々と取り上げられている。

まあ小池さんはこの論稿を読まれても、あれあれ肝腎なことを取り違えられているわ、しょうがないわね、ぐらいな感じで相手にはされないだろうが、小池応援団を標榜する私としては軽くジャブを打つくらいのことはしておいた方がいいだろう。

価値基準が違う人との間では、なかなか生産的な議論は成り立たない。
貴方はそう仰るが、私は賛同出来ませんね、ぐらいな程度で終えるのがよさそうである。
まあ、お互い言いっ放し、ということだ。

ちなみに、THE HUFFINGTON POSTに掲載されている件の論稿の表題は、「『小池劇場』で演じられる『コンプライアンス都政の危うさ』」で、筆者は著名な郷原信郎氏である。

小池氏とバッハIOC会長との会談では和やかな表情を見せた一幕もあったが…(都庁サイトより)

震災復興とパラリンピックを意識した2020年東京オリンピックに

小池さんの奮闘も虚しく、どうやら競技会場の変更をしないままの2020年東京オリンピックになりそうである。

おもてなしの日本、というコンセプトを打ち出した点ではオリンピック招致活動そのものは成功だったと思うが、アスリート・ファーストなる競技者や競技団体優先の考えに毒されて、日本の食の文化をはじめ日本の優れた芸術や文化、様々な科学技術、あらゆる人を受け入れ、世界と平和裏に共存・共栄する日本、どんな困難にもめげることなく復活出来る日本の底力などを世界にアピールする機運が少し後退したように見えるのが少々残念である。

まあ、長沼でのボート・カヌー競技の開催には元々難があったようだから止むを得ないと思うが、復興五輪やパラリンピックのコンセプトはくれぐれも大事にして欲しい。

いずれにしても、いつまでもグズグズしてはいられないのだから、この程度で見切りをつけることはいいことである。何事も相手があることだ。

無理だと思えば、どこかで妥協しなければならない。
いくら都民の支持があっても、肝腎のオリンピック委員会がその気にならないのだったらさっさと切り替えることである。

幸い、大方の人は止むを得ないと受け止めてくれるようだ。
誰も変節した、などとは言わない。

政治家にはそのくらいの柔軟さが求められている。

ここは、堂々と説を変えていい。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2016年11月24日の記事で、小池都政関連の2つのエントリーを時系列順に合併し、タイトルを変更して転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。