オーストリアで与党社民党が極右政党に接近か

オーストリアで来月4日、大統領選のやり直し投票が実施される。「緑の党」元党首、アレキサンダー・バン・デ・ベレン氏(72)と、極右政党「自由党」議員で国民議会第3議長を務めるノルベルト・ホーファー氏(45)の2人の候補者の間で争われるが、両者は拮抗している。ただし、メディアの中では、トランプ氏が米大統領で当選した勢いに乗って(?)、ホーファー氏が欧州初の極右政党出身大統領に選出されるのではないか、といった予想が出ている。

▲極右政党「自由党」との関係が注目されるケルン首相(2016年7月1日 ウィーンの連邦首相官邸内で撮影)

ところで、大統領選の投票日が差し迫った23日夜、クリスティアン・ケルン首相(社会民主党党首)と自由党のハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首のトップ討論がラジオ文化ハウスで行われた。連邦鉄道総裁だったケルン首相が今年5月、ヴェルナー・ファイマン首相の後任に選出されて以来、両者の討論は初めて。実業界出身のケルン首相が、政権奪回を狙う自由党党首とどのように渡り合うか注目された。

そのケルン首相が自由党党首に対し、「シュトラーヒェ氏がわが国の発展のため努力していることに敬意を払う」と発言したのだ。社民党(SPD)党首が自由党党首に敬意を払う、といったことはこれまで考えられなかったことだ。両者の激しい口論が展開されるものと予想していた国民も驚いた。結局、両者の討論は穏やかで、激しいやり取りはほとんどなく終わったのだ。同国代表紙プレッセは25日、一面トップで「赤(社会民主党)と青(自由党)の接近」という見出しを付けて大きく報じたほどだ。

社民党は過去、自由党と連立を組んだことはある。13年間の長期政権を維持した社会党時代のブルーノ・クライスキー首相(任期1970~83年)は1970年、自由党の支持を受けて少数政権を発足させた。そして83年にはジノバツ政権(1983~86年)は自由党と連立を組んだ。しかし、自由党で極右政治家ヨルク・ハイダー氏(1950~2008年)が党首になって以来、銀行界から政治家となったフランツ・フラニツキ―社民党主導政権(1986~97年)は自由党との絶縁を宣言し、一線を引く通称“フラニツキ―ドクトリン”を実施した。それ以来、社民党と自由党の連立は連邦レベルでは途絶えた。

ただし、州レベルでは2004年、ケルンテン州で“赤と青”の連立政権が発足。昨年7月にはブルゲンランド州でニースル知事(社民党)が州議会選後、自由党と連立政権を組んでいる。社民党内左派から批判の声は上がったが、党内を2分するほどの混乱はなかった。

ケルン首相の自由党接近についてはさまざまな憶測が流れている。ケルン首相には自由党に奪われた国民の不満票、抗議票を取り返したい狙いがあることは間違いない。また、連立パートナーの国民党(独「キリスト教民主同盟」の姉妹政党)に対して、「わが党の連立相手はもはや国民党(黒)だけではない」とアピールすることで、連立政権下での主導権を強化したい意向があるだろう。

ちなみに、ケルン首相の「自由党接近」発言が間近に迫った大統領選にどのような影響を与えるかで様々な分析が聞かれる。大統領選では1回目の投票で同党候補者が敗退した社民党は決選投票では「緑の党」元党首バン・デ・ベレン氏を支持する姿勢を表明してきたが、ケルン首相が自由党に接近することで社民党支持者がホーファー氏支持に流れる可能性も出てきた、といった声が聞かれる。

来年に総選挙を控え、ケルン首相が“フラニツキ・ドクトリン”から決別し、自由党との関係を正常化し、自由党にこれまで吸収されてきた不満票、抗議票を奪い返すことに成功するか、同首相の政治手腕が問われることになる。
いずれにしても、社民党内にはウィーン市(特別州)のホイプル市長のように自由党へのアレルギーが強い政治家が少なくない。それだけに、政治体験の乏しいケルン首相への党内批判が高まる危険性も排除できない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年11月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。