巨大企業は消滅するのか?

巨大企業が淘汰される背景とは?(写真AC:編集部)

経済学の祖、アダム・スミスは「分業」の効率性を説きました。一人でピン全てを作るより、台座を作る人、ピン先を作る人、くっつける人がそれぞれの仕事に専念した方が生産性がはるかに高まるという理屈だったと記憶しています。

また、D.リカードは「比較優位」を説き、各人が比較優位を持っている仕事に専念することで全体の生産性が高まると説きました。A君よりもB君の方が、機械を作る能力も小麦を作る能力も劣っていたとしても、A君は機械制作に専念してB君が小麦生産の専念した方が全体の生産量は増えるというものです。A君とB君は、後でそれぞれを交換すればいいのです。

ところが、最近の巨大企業はなんでもかんでも一社で賄おうとしています。企業、すなわち法人を一人とすれば、一人で部品の製造から商品の販売までやっているようなもので、これは明らかに「分業」の理論に反します。
どうして、企業は一社でたくさんの仕事を抱えてしまうのでしょう?

それを合理的に説明したのが、D.コースです。彼は、各人が比較優位を持つ仕事に専念したとしても、それぞれの商品を取引するにはコストがかかりすぎると説きました。私達がすき焼きの食材を買うために、肉屋さん、豆腐屋さん、八百屋さんを一軒一軒回るより一つのスーパーで買ってしまった方が時間の節約になるのと同じようなものでしょう。また、企業間には交渉が付きものなので、取引の都度価格交渉をしていたのでは時間的にも人的にも大変な無駄遣いになってしまいます。

さらに、それぞれの部品を全部別の人や法人が作るのであれば、長期契約を結ばないと完成品を安定的に作ることが出来ません。それだったら、いっそのこと共同でひとつ屋根の下でやった方が業績が安定するという点も見過ごすことのできない点です。

企業のブランドというのもあるでしょうね。総合商社などは、食品部門とエネルギー部門は全く別の仕事をしていますが(もちろん少しは重複している部分もあります)、三菱商事や三井物産というひとつの世界ブランドで統一したほうが信頼性が高まるはずです。

ところが、昨今はIT技術を駆使して、極めて短時間で世界中から必要な物を調達し、販売することができるようになりました。

私達の生活でも、全国の肉の専門店と野菜の専門からネットでお取り寄せをして、(当日はムリでも)一週間後にはスーパーよりも美味しい食材で「すき焼きパーティ」を催すことができるようになりました。

世界中から調達する手法を国際水平分業といい、かのAppleはその手法でiPhoneなどの製品を作っています。自前の部品工場は持たず、少ない従業員で完成品を作り上げています。ですから、従業員一人あたりの生産性は極めて高く、従業員一人あたりの時価総額はトヨタ自動車の50倍くらいになるのです。

このように、ITの進歩によってコースが指摘した「取引コスト」が激減した今日、巨大企業を構える必要性は薄れてきています。巨大企業だと、従業員の人件費も高止まりしますし、不要になるかもしれない工場設備を持たなければなりません(シャープの亀山工場を見れば、それがいかにリスキーか理解できますよね)。

企業を大きくしたいというのは、経営者の強い願望です(これを「エンパイヤ・ビルディング」(帝国建設)というそうです)。帝国のトップに君臨したいという願望です。

しかし、帝国が崩れたのでは元も子もありません。取引コストの低下、人件費や設備資金の節約等々を考えると、これからは巨大企業の分社化が進むのではないかと私は考えています。巨大恐竜の時代が終わりつつあるということかもしれません。

荘司雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2014-08-26

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2016年12月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。