「日本死ね」が許されるなら「憲法死ね」もだ

八幡 和郎

流行語大賞公式サイトより

流行語大賞がとんでもない勢力にのっとられているのは周知の通りだ。「二重国籍」とか「ネット・メディア」が選ばれなかったは早い時期から予想されていたし期待もしていなかったが、なんで「日本死ね」は受賞で「二重国籍」は外れたのかという声が多く寄せられたのは期待以上だった。

しかし、腹が立ったのは、民進党の山尾志桜里さんが表彰式に現れたことだ。その当時、民進党の政調会長という高い地位にあった人がこれでは困る。さっそく「ガソリーヌはなぜ選ばれなかった」と囃されているのは自業自得だ。

山尾さんは二重国籍問題については、元検事さんらしく、党内で厳しい意見を蓮舫氏に対して寄せていると聞いていただけにちょっとがっかりだ。

次の選挙に向かって、民進党の二枚看板となるべき蓮舫・山尾の二連ポスターに「二重国籍」「日本死ね」とキャッチフレーズを刷り込んだパロディーでも出されるのがおちだ。

また、「日本死ね」とか野党第一党がいうなら、「憲法死ね」と改憲派がいっても文句はいえないはず。どう考えても、国家があって憲法があるのであって、憲法があって国家があるのではないのだから、国家に死ねということは、憲法死ねというより罪は重いはずだ。

そのあたりも、よく考えて欲しい。もちろん、私は「日本死ね」も「憲法死ね」も言ってはならぬことだと思う。「日本死ね」といって憲法は大事にしろとはいえないし、逆もしかりだ。